海を進むアークエンジェルは風と波に揺られる。

 後方デッキから艦内に入ったとキラは、無言で通路を進んでいた。

「……………

 足を止めたキラが前を歩くを呼び止める。

 は振り返って眉を顰めるが、俯いているキラを見て首を傾げた。

「…………すぐ、戦闘の準備に入って。領域を出れば戦闘になるから」

「戦闘?何故そう言い切れるの?」

「…………昨日……会ったんだ、アスランに。トリィを探しに地上へ出た時、フェンスの向こうに居た」

「そんな」

 予想外だった。

 アスラン達の事は途中まで監視させていたが、夕方になってそれを止めさせた。

 どうせ会う事も探る事も出来ないだろうと踏んだのだが、それが思わぬ裏目に出たようだ。

「もうすぐアラスカなんだ。誰も死者を出しちゃいけない。だから」

 キラのストライク、のセレス、フラガのスカイグラスパー1号機。

 戦力はこの3機だが、スカイグラスパー2号機にトール・ケーニヒが乗ることとなった。

 ストライクの支援と上空監視をするのがトールの仕事。

 戦闘をする訳ではないが、何時巻き込まれるか分からない。

 シミュレーションと実戦は違うのだから、応用や状況判断がその場では必要とされる。

「……分かったわ……でも、大丈夫なの?」

「えっ?」

 俯いていた顔を上げると、離れていた筈のが目の前に居た。

 そっとの手がキラの頬を包み、キラは僅かに目を細める。

「凄く辛そうな顔をしてる」

 少し悲しそうな表情を浮かべるに、キラはそっとの手に触れて目を閉じた。

「……辛いよ……アスランと戦って、同胞と戦って、親にも会えなくて………人を、たくさん傷付けて。でもね、僕が此処まで来れたのはのお陰なのかもしれない。が僕を……僕達を引っ張ってくれたから」

 誰も気付いていない所からずっと守っていてくれた。

 突き放す事もあった。

 冷たい目で見られた事もあった。

 それでもずっと心配してくれていた事をキラは知っている。



 ゆっくり目を開け、無理をしていると悟られないように小さく笑う。

「今まで有難う」

 今言える、精一杯の言葉。

 は空いてる手を握り締め、それからキラを力強く抱き締めた。

「あっ、あの……?」

 驚いたキラは頬を赤くしてに問いかけるが返事はない。

 僅かに肩を震わせキラの肩に顔を埋める

 キラはそっと背中に腕を回し優しく撫でる。

「………ごめん……ね、キラ…………ごめんっ」

「…うん…」

「……戦わせて………ごめっ……」

「うん。でも……大丈夫だから」

 だからどうか、その命の灯火を消さないで。







 オーブ・軍本部司令室。

「艦隊旗艦より入電。我、これより帰投する」

 ドックでアークエンジェルを見送ったウズミとヴァイン、アラムの3人は司令室のモニターで様子を伺っていた。

 オーブの海域では問題もなく進めたが、その先はどうなるか分からない。

「無事に着くと思うかね」

 低いウズミの声にヴァインとアラムは小さく首を振った。

 地球での戦闘は圧倒的にアークエンジェルが不利。

 グゥルで空を自由に飛べるアスラン達とは違い、自由に飛べるのはスカイグラスパーのフラガのみ。

 これまで何とかやって来れたものの、コーディネイター相手に逃げ切れる訳もない。

 まず無事に到着するのは無理だろう。

「ウズミ様、今我々が考えなければならない事は今後どうするか、です」

「分かっておる。艦の準備は?」

「7隻中4隻が数日には完了します」

「残り3隻は巨大船ともあってエネルギー供給が間に合いません。最低でも1週間はかかります」

 2人の報告を聞き、ウズミはそっと息を吐いた。

 そして司令室を出ようと一歩足を出した瞬間、オペレーターの悲鳴が司令室に響いた。

「アークエンジェルが海域を越えた所でザフト軍の襲撃にあっています!」

「何だとっ!?」

 モニターでアークエンジェルを拡大すると、グゥルに乗った4機のMSとそれに迎え撃つストライクとセレスの姿があった。

「上手く回避しつつ進んでいるようですね」

 明らかにアークエンジェルが不利。

 それを逆転させる為にはグゥルを撃ち落せば良い。

 Xナンバーは宇宙戦の為に開発されたMS。

 地球の……しかも空中戦となると、イージス、デュエル、バスター、ブリッツも戦闘には不向き。

「……それにしても……何でこぉ、イージスばかり狙うのかねぇ俺らの姫さんは」

 砕けた口調の中に呆れた声で言ったのはアラム。

 それに続いてヴァインも口調を変えた。

「単純に、クルーゼ隊の中でセレスのパイロットが姫様であると知っているのはイージスだけだからだろ」

「まぁそうだろうけどさ。あとさ、話には聞いていたがバスターのパイロット……呆気ないな」

「接近戦ではなく、遠距離での支援を主にしたMSだからな。重量も一番あるし、落ちる確率が高いのはアレだ」

 戦闘が始まってからどれだけの時間が経ったのかは知らない。

 既にバスターとブリッツの姿はなく、イージスと戦っていたセレスはデュエルと戦っている。

「ヴァイン、アラム!」

 モニターを見ていた2人が声のする方に振り返る。

 息を切らせた青年が、肩を上下させながら壁に手を付いた。

 それから息を整え、2人に大きな声で報告する。

「あの方が帰って来た!」

「あの人がっ!?」

「マジかよ!」

 驚きの表情を浮かべる2人に青年は頷く。

「彼が……帰って来たのか?」

 ウズミも驚いた表情で言葉を漏らした。

 あの方。

 それは家現当主、の兄を指している。







 空中戦での形勢逆転はグゥルを撃ち落す事。

 それを早々からキラに教えていた為、バスターとブリッツは初めの方で落ちた。

 デュエルもつい先程が落とした。

「キラとアスランは?」

 周りを見渡すと近くに島がある。

 そこから火花が散っているのが見えた。

「まさか…あそこっ!?ちょっとブリッジ!ストライクに深追いするなって伝えたの!?」

『それが、キラ君が此方の制止を振り切ったのよ!』

「あの馬鹿!」

 はペダルを踏み込み島に向かって急ぐ。

「キラ!それ以上戦うのは止めなさい!逃げ切れればそれで良いのよっ!!」

は下がって!アークエンジェルがまだ近くにいるんだろう。もう少し引き離さないとっ!!』

 今のキラの頭にあるのは少しでも遠くに引き離しておく事。

 確かにその判断は正しいが、今の状況では危険な判断だ。

(ブリッツにはミラージュコロイドがある。海に落とされて黙っていられる程クルーゼ隊は馬鹿じゃない)

 彼らとは短い付き合いだったが、クルーゼ隊に入った者の性格は大体分かっている。

「もう良い……もうこれ以上戦わな――」

『アスラン!下がって!!』

 イージスに乗るアスランとストライクに乗るキラ。

 戦う2機の近くに現れた黒の機体、ブリッツ。

 ザフト軍クルーゼ隊所属のニコル・アマルフィが乗る機体。

 ストライク目掛けて襲い掛かるブリッツに、キラは反射的にそれを交わした。

 交わしただけならそれで良かった。

 だがキラの反射的行動はそれだけでは終わらなかったのだ。

 攻撃を交わした流れで持っていたソードを振る。

 そのソードがブリッツのコックピットを半分まで切りつけた。

 火花が散り、咄嗟の事に驚いてその場を離れるキラ。

「……ニ………コル……?」

 身体が動かない。

『……アスラン………逃げ……』

 通信が途絶え、はすぐに分かった。

 Xシリーズを設計したのは自分。

 MS開発に携わった者として、目の前で火花を散らしているブリッツがどうなるのか。

「い………いや……」

 震える声しか出ない。

 ニコルを呼ぼうと口を開けた瞬間、ブリッツは大爆発を起こした。

 轟音と爆風が達を襲い、海に落とされたバスターとデュエルは岸に上がって爆発したブリッツを見た。

 そして間近でそれを見ていたイージスのパイロット、アスランは目を見開いて息を呑む。

「ニコル―――――っ!!!」

 アスランの叫び声がこの島に居る全員の耳に入った。

 あの爆発を見てパイロットが生きているとは思えない。

「………プラントで……会おうって、言った………」

 つい先程までそこにあったブリッツが跡形もなく吹き飛んだ。

「ピ……アノ、聴かせて………くれるって……」

 ニコルの笑顔も、あの爆発と共に消え去った。

「ニコルっ!!」

 呼んでも返事が来る事はない。

 もう二度と、ニコルは返事をして笑ってくれない。

っ!』

 セレスの機体がぐらりと傾いた。

 動けないイージスからではなく、岸に上がったデュエルとバスターからの一斉攻撃。

 は無意識にペダルを踏み、アークエンジェルに向かって帰艦する。

 グゥルを失った3機は深追いをせず、アークエンジェルはストライクとセレスの着艦を確認してから機関最大でその場を離れて行った。







 ストライクとセレスが帰投後、は無意識に戦闘後の事務処理をコックピット内で行っていた。

 セレスの破損部分を調べ、ブリッジに通信を繋いで現状報告を聞く。

 今後の指示を出し、通信を切ってからコックピットを開けて出た。

 隣に立つストライクのコックピットは開いている。

 戦闘後にはない賑やかな整備班の声が聞こえた。

「ブリッツだっけ?」

 機体名を言われ、呆然としていた意識が覚醒された。

 目の前で爆発したブリッツ。

 15歳の少年ニコルがパイロットだった。

 ピアノが大好きで戦う事を嫌ったニコル。

 そのニコルが死んだ。

 守りたいと願った人々の1人だったニコルが。

 あの時の光景が脳裏に浮かび身体全体が震え上がる。

 身体の力が抜け、バランスを崩した。

「大佐!?」

 誰かの声が格納庫に響き、一斉に息を呑むのが分かった。

!」

 先に戻っていたフラガの声が響く。

 整備班に囲まれていたキラが床を蹴り、人を掻き分け飛び出した。

 ラダーを使わずコックピットから落ちる

 誰もが想像した真っ赤な血の海。

!!」

 キラの声がの耳に入った。





「それで、は今?」

「坊主が部屋に運んで行ったよ。暫く休ませた方が良いって言って」

「…そうですか…」

 格納庫で起こった一部始終を報告に上がったフラガは、深い溜息をついて肩を落とした。

「あの時坊主が飛び出してなかったら、今頃格納庫は血の海になっては危険な状態になってただろうよ」

 整備班達を押し退けて飛び出したキラは、ギリギリのところでをキャッチ。

 血の海と大怪我だけは免れたが、はキラの腕を放さず震えていた。

 やがて集まって来た人々からを庇うかのように抱き上げたキラは、疲れているから構わないで下さいと言ってその場を後にした。

「でも、一体何があったのかしら」

 これまで過酷な戦闘になっても倒れるような事はなかった。

 オーブにいた間はの行動を把握しきれていないが、戦場に出ている時よりはそんなに動いていない筈。

 原因が唯の疲れなら良いが、それ以上の事があるとマリュー達は考えている。

「坊主と言いと言い、今の状況良くないぞ?」

「それは分かっています。でも、アラスカに着くまではどうにも……」

「だよなぁ〜頭では分かっちゃいるんだけど……も坊主共と同じ16。色々と難しい年頃なんだよな」

 軍人である前には16歳の少女。

 その小さな背中に圧し掛かる責任と信頼。

「大佐は大丈夫でしょうか」

 話を聞いていたナタルが言うと、他のクルー達も心配そうな表情でフラガを見る。

「俺達が大丈夫かって聞いて、大丈夫じゃないって答えると思う?」

大佐の性格からして……絶対言わないでしょうね」

 トノムラの言葉に同感する一同。

 16の少女に似合わない性格である。

「まぁ兎に角、の事は坊主に任せよう。正直言って坊主もゆっくり休まなきゃならんしな」

「そうですね、それしか方法はなさそうですし」

「暫くそっとしておこう。その方が俺達にとっても達にとっても一番良いだろうから」

 フラガが言うと一同は頷き、それぞれの仕事に取り掛かった。







 を自室に運んだキラはベッドに寝かせ、上着を脱がせてハンガーにかけた。

 前髪を左右に分け、額にそっと手を当てる。

「熱は……ないね」

 ただ、戦闘前と比べると顔色が悪い。

 キラは起こさないように静かに部屋を出ると、その足で再び格納庫へと向かった。

 あれだけ騒がしかった整備班達の姿もなく、灰色の機体は足下に来たキラを冷たく見下ろす。

 脳裏に浮かぶ島での光景とアスランの叫び声。

 そして聞こえたの声。

―――ニコル―――――っ!!!

―――………プラントで……会おうって、言った………

―――ピ……アノ、聴かせて………くれるって……

―――ニコルっ!!

 ニコル。

 アスランが叫んで呼んだ名前もが呼んだ名前もニコル。

 ピアノが好きなのだろう、そんな少年。

 アスランの大切な友達――仲間を殺した。

「……敵……」

 お互いに撃つと言ったあの日からどれだけ経っただろう。

 結局お互いはお互いを撃てず、別のパイロットをキラは撃った。

 撃ちたくて撃った訳ではない。

 それでもアスランから見たらキラが撃ったのは変わりない。

 アスランにとっての敵であり、仇となったキラ。

「…僕は……君の敵…?」

 呟かれる言葉は格納庫の中で消え、それに返事をする者も此処にはいない。

 敵だと言っておきながら敵であると思えなかった存在。

 それが今日、轟音と共に崩れ去った。

 もうお互いを友だとは言えないだろう。

 楽しかったあの頃には戻れない。

 会話をする事も叶わない。

 キラは一度視線を落とし、やがて諦めたかのように力なくストライクを見上げて呟いた。

「………そうだよね……アスラン………」

 次の戦闘では殺しに来るだろう。

 キラはそう確信した。