水面に映る月が、風に撫でられ波紋する。

「隠れていないで出てきたらどうですか?」

「っ!?」

 木に隠れているキラの方に、少し呆れた表情で視線を送った。

 キラは恐る恐る姿を現し、何とも言えない表情をしてヴィアンを見る。

「盗み聞きとは、あまり感心しませんね」

「……………」

「まぁ、そこに居る事は分かっていて話しをした私も私ですから、怒りはしませんけど。そこに居ないで、此方に来たらどうですか?」

「えっ?あ、いえ……僕は………」

 丁重に断わろうと言葉を探したが、ヴィアンを納得させるだけの言葉も見付からず、警戒しながら近付いた。

 ヴィアンはそんなキラの動きを見て小さく笑う。

 ヴィアンの横、つまり先程までが座っていた所に座り、キラは視線を落とした。

(何を話せば良いんだろう)

 それ以前に、自分を此処に呼んでどうする気だろう。

 此処は敵のアジト。

 盗み聞きをしてしまった以上、無傷でアークエンジェルに帰れる保障はない。

 最悪のケースを一瞬考えたキラは、膝の上に置いた手を握り締めた。

「君はまだ16だそうだね。少し前まではヘリオポリスの学生だったと……」

「……えぇ……まぁ………」

「そんな君が、今では同胞と戦う地球軍か。この世界は、本当に皮肉だな」

 落としている視線を、ヴィアンに向けて上げる。

 彼は少しだけ目を細めて月を見ていた。

「何処か地球軍基地に立ち寄れれば、君達学生は除隊出来るのだろうけれど……少し前にビクトリアが落ちて、軍も大慌て。おまけに、この辺一帯はザフトのものだ。一番近くて安全なのは、恐らくアラスカ基地だろう。それまで、君達には辛いだろう頑張って貰わないと」

「えっ?あぁ………はい……あの………」

「ん?どうかしたのかい?」

 首を傾げてキラを見るヴィアンと、少々頭が混乱しているキラはそっと息を付いて訊ねてみた。

「えっと………あの、貴方は……」

「正真正銘軍人だよ。私服を着ているけど、これでも彼女と同じ仕事をしていてね」

「……はぁ……?」

 つまり、地球軍特殊部隊の1人、と言う事なのだろうか。

 だが、此処はザフトの砂漠の虎の基地。

 そんな敵陣の基地に、堂々と潜り込める筈がない。

 相手はコーディネイターで、地球軍はナチュラルなのだから。

 では、彼はコーディネイター?

 いやそれよりも、自身ナチュラルなのかどうかさえ怪しい。

 砂漠の虎と知り合いだとは、只者ではない筈だ。

 自分の事をストライクのパイロットと見抜いた男、アンドリュー・バルドフェルド。

 そんな彼なら、がナチュラルである事を直ぐに見抜く筈。

 ならば、やはりは………。

「彼女の第一印象はどうだった?とても同い年とは思えなかっただろう」

「えっ?あ……とは………その、モルゲンレーテで会って……第一印象は綺麗な人だなぁって………」

「おや?ラボで1度会っていたのか………そう言う報告は受けていなかったなぁ……ま、あまり関係ない報告だからだろうな。なら、驚いたんじゃないのかな?休暇中の彼女と、仕事中の彼女は別人だから」

「えぇ……まぁ、そうですね」

「とてもナチュラルだとは思えない動きや頭脳。彼女のおかげで、何度救われた事か」

「ナチュラル?」

「地球軍特務隊所属、は個人データにしっかりナチュラルと記入されているし、遺伝子操作をされた形跡はない。正真正銘、彼女はナチュラルだ」

 ナチュラル。

 ヴィアンははっきりと言い切った。

 軍の個人データに記入されているのなら、はナチュラルなのだろう。

 キラも先日、軍医に言われて個人データを作成された。

 既に血液型だけは記入されており、その他のデータを打ち込んだ。

 とてもきめ細かく検査などされ、コーディネイターがナチュラルと言い切る事は不可能。

 ならばはナチュラルなのだろう。

 でも、何故バルドフェルドはナチュラルの少女を娘と呼ぶのか。

「彼女をコーディネイターと言う人は多い。自分より優れていたら、誰だってコーディネイターだと……決め付けてしまうからね。ナチュラルも捨てたものではないと言うのに………とても愚かだ」

 その愚かな考えをしていたキラにとって、ヴィアンの言葉には棘がある。

 彼はそれを知らずして言っているのだろうが、今のキラには痛い。

「あの、貴方は……どうして此処に?」

「仕事だよ。急に来た任務を、彼女に伝える為にね」

「その為だけに、此処まで?」

「その為だけに、此処まで来たのさ。そう言うものだからね、軍と言うのは」

「どうして通信じゃ駄目なんですか?」

「Nジャマーで、あまり鮮明に映像が映らないんだ。それに、口で言って終わるものでもないし、渡さなければならないものもあってね。だから、遥々月から砂漠まで来たのさ」

「……月……」

 つい数年前の話なのに、月で住んでいた頃が遠い過去のように思える。

 月の幼年学校。

 あの日々は、とても楽しかった。

 もう戻らない過去だけど、きっと未来もあの時のように笑って暮らせないと思う。

「さてと、頭の整理も出来たし、明日は早い。君も、朝一で此処を出るんだから、そろそろ帰った方が良いだろう。明日はジープを借りて、アークエンジェルまで送るから」

「貴方が?」

「送ってから、私も別の任務で動くけどね。アンディには、彼女の友人って事で通っているから」

「はぁ」

 そんな簡単に通って良いのだろうか。

 とても簡単すぎるような気がする。

「大丈夫。彼とは、もう2年もの付き合いだから。心配する必要はないよ」

 顔に書いていたのだろうか、キラは慌てて頭を振った。

 ヴィアンは小さく微笑み、腰を上げる。

 キラもそれに倣って立ち上がった。

「此処で聞いた事、話した事は誰にも言わない。良いね?」

「………分かりました」

「助かるよ。それじゃ、また明日」

「お休みなさい」

 キラが軽く頭を下げると、ヴィアンは手をヒラヒラさせながら帰って行く。

 一体彼は何だったのか。

 正直言って、よく分からない。

 取り敢えず、彼がザフトの人間ではない事が分かったので安心した。

(無事に帰れる………よね?)

 多少の不安は残るものの、ヴィアンの言う通り明日は早いので寝る事にした。

 いくつもの疑問と謎。

 それが解ける日は、きっと大分先の話なのだろう。

 そう思いながら、キラは一度月を見上げて歩き出した。







 玄関先に、1台のジープがエンジンをかけ止まっている。

 朝目覚めると、昨日まで着ていた服に着替え直していたカガリが居て、一瞬自分に置かれている状況を思い出せなかった。

 その後朝食が運ばれ、食べ終えた頃を見計らってアイシャさんが尋ねた。

「そろそろ行く準備をしてね」

 彼ら砂漠の虎は、本当に無傷で帰すつもりなのだと、その時分かった。

 昨晩話した人――ヴィアン――が言った通り、彼はジープの運転席に座っている。

 ジープの後ろには、昨日買って駄目にしてしまった品物が積まれていた。

 勿論、ちゃんと全て買い直しているので、品物には文句はない。

 文句と言うか、疑問に思う物が積まれているが………。

「何だ、これは」

 キラに問い掛けるカガリ。

 それは此方の台詞だ、とでも言うように肩を落す。

 ヴィアンだけが小さく笑っていた。

「それはあの子の誕生日プレゼントよ」

 カガリの質問に答えたのは、共に来たアイシャ。

 彼女は嬉しそうに積まれた荷物――プレゼント――の説明をし始めた。

 曰く、2年間渡せなかった誕生日プレゼントをこの際渡してしまおう……らしい……。

 これから命の遣り取りをするのに、渡してどうする。

 一瞬そんな考えが過ぎったが、すぐ別の考えが出た。

(どちらかが倒される。僕らが負けたら、に渡す事は出来ない。かと言って、バルドフェルドさん達が負けてしまったら渡したくても渡せない)

 これは結果がどうなれ、渡しておかなければならないものなのだろう。

 どちらかが倒れる結果となる。

 ならば、無駄になるかならないかは運命が決める事。

「おい、このケースは何だ?」

 荷物と一緒に積まれている白いケース。

 十字のマークが付いている事から、救急用品である事はすぐ分かる。

 だが、それにしては大きい。

「あぁ、それは血液よ」

「血液だぁ?」

「そうよ。あの子がね、A型の血液が欲しいって言うから、此処に居るA型の血を分けて貰ったのよ。自分はB型だって言うのに」

「……A……型………」

「此処はコーディネイターしか居ないから、ナチュラルには適合しないのよ?よっぽど必要だったのね。朝慌てて起きて来て、行き成り言うんですもの。アンディも私も驚いちゃったわ」

 ナチュラルには合わないコーディネイターの血液。

 それを必要とするのは、自分がコーディネイターである事を示す。

 だがはB型らしい。

 では何故A型が必要なのか。

 答えは、すぐに分かった。

「君、A型でしょう?」

「……あっ……」

 個人データに既に記入されていた血液。

 降下後、目覚めた時に見たガーゼ。

 腕に針を刺したような跡があったが、あれは血管の上だった。

「……もしかして……」

 あれはが、血液を調べる為に血を抜いた跡だったのでは?

 パイロットは、怪我をせずに必ず帰って来るとは限らない。

 コーディネイターであるキラにとって、同胞の血は絶対に必要だ。

 居ないとなれば、自分の血液を抜かねばならない。

 はそれを回避する為に、A型の血液を集めたのでは?

「私達の自慢の娘は気が利くでしょう?」

 嬉しそうに笑うアイシャ。

 どうやらは、バルドフェルドとアイシャの子供らしい。

 自称育ての親、らしいが……。

「ほら、あの子が来たわよ」

 大きな扉が開き、バルドフェルドと着て来た私服に身を包んだが出て来た。

「もう終わったの?」

「お説教も混ざってね。そっちは?」

「荷物も準備出来てるわ。後は出発するだけよ」

「有難う、アイシャ」

 礼を述べると、バルドフェルドに視線を向ける。

 彼は相変わらず余裕の笑みを浮かべていた。

「面倒かけてごめんね。欲しかったやつまで取り揃えてくれて」

「いやいや、娘の頼みは親として聞かなきゃねぇ」

「自称育ての親、でしょう。まったく……少しは部下達の面倒も見たら?その内ダコスタが大変な事になるよ?」

「彼は大丈夫さ。そんな柔な男じゃない」

「私でも気が滅入るっての………まぁ良いわ。取り敢えず、私は行くね」

 ジープに乗り込もうとする

 キラとカガリは複雑そうな表情でバルドフェルドを見て、後方座席のドアを開けた。

「本当に行っちゃうの?」

 呼び止めたのはアイシャだった。

 の歩く足が止まり、背中を向けたまま大きく溜息をついた。

「行かずに済むなら、私は行かない。でも、私が居るべき場所は此処じゃないから。だから行く」

「例えどんな困難が待っていようとも?」

「困難じゃない人生なんて、この世界にはないよ」

「今まで以上に苦しい事があっても?」

「苦しむから、人は生きていられる」

「苦悩な選択を迫られるかもしれないのよ?」

「自分の望む世界があるから、それを得る為には苦悩な選択も乗り越える」

「貴方の大切な人が皆死んでしまっても?」

 次々に質問を投げるアイシャ。

 それに答えるは、そっと目を閉じて大切な人の顔を思い浮かべた。

 大切?

 何が大切なんだ?

 馬鹿馬鹿しい。

 そんなモノ、初めからないのに。

 大切って何?

 何を大切と言うの?

 大好きな人?

 なら、好きでも嫌いでもない人は?

 何処から大切と言って、何処からが大切じゃないと言える?

 馬鹿馬鹿しい。

 大切なモノなんて、作らなければ良い。

 作ってしまえば、絶対守らなくてはいけないから。

 馬鹿馬鹿しい。

 守り切れる筈ないのに。

 両手に溢れた分は見殺しに。

 両手に残る分だけ助ける?

 馬鹿馬鹿しい。

 そんな半端な事をするなら、初めから決めなければ良い。

 どうせ後悔するのは、自分だって分かっているんだから。

「親兄妹にも見捨てられた子供に、大切なモノもなにも、初めからないよ」

 薄く微笑んだの表情は、悲しみも怒りも何もない。

 唯あるとすれば、何もかもを手放した喪失感。

「アイシャ」

 そっと肩に手を置くバルドフェルド。

 アイシャは少し悲しい目で見上げ、もう一度の背中を見た。

「帰りたまえ。話せて楽しかったよ。良かったかどうかは、分からんがね」

 結局キラもカガリも、バルドフェルドの本心を知る事はなかった。

 唯、少し軍人としては何かが違う。

 そう感じた部分はあった。

「アンディ、アイシャ………有難う……」

 肩越しに振り返って、は小さく礼を言った。

 2人は静かに首を振り、それを見たはジープに乗り込む。

「また、戦場でな」

 キラとに向けての言葉。

「さようなら、

 別れの言葉を言うアイシャ。

 はそっと息を付き、2人に向って最後の言葉を言った。

「さようなら、お義父さん、お義母さん」