バナディーヤにある砂漠の虎の家……と言おうか、豪邸に案内されたキラ達3人は、大きな扉の向こう側に足を踏み入れてしまった。

 中に入って迎えたのは髪の長い女性。

「お帰りなさい」

「やぁ、アイシャ。変わりなかったかな?」

「ないわよ。それより……この子ですの、アンディ?」

「あぁ、彼女をどうにかしてやってくれ。チリソースとヨーグルトソースとお茶を被っちまったんだ」

「あらあら、ケバブねぇ」

 髪の長い女性――アイシャ――がカガリに近付き、顔を覗き込む。

 カガリは気まずそう表情になったが、アイシャは小さく笑って頷いた。

「あぁ、そうだアイシャ」

 部屋に入って行ったバルドフェルドが顔を出し、に視線を向ける。

「彼女の服も洗濯してやってくれ。裾が汚れた」

「分かったわ。さぁ、いらっしゃい」

 カガリの背中を押すアイシャ。

 キラは慌てて呼び止めるが、アイシャが振り返って微笑む。

「大丈夫よ、すぐ済むわ。アンディと一緒に待ってて」

「……でも……」

 不安げにを見る。

 はジッとバルドフェルドの入った部屋を見詰めていて、キラの顔を見ようとしない。

 キラが声をかけようとした時、ダコスタが声をかけた。

「あの、早く行った方が良いですよ?あの人、エスカレートしますから……」

 少し控えめに言うダコスタ。

 は何かを諦めたのか、深い溜息をついて手をひらひらさせる。

「頑張って下さい」

 苦笑するダコスタと不満げな表情を浮かべるを見て、キラは違和感を覚えた。

(知り合い?)

 そうでなければ今の光景は妙だ。

「ヤマト君」

 呼ばれて、驚いた。

「大人しくしていたら危害は加えないと思う。彼、場を弁えているから」

 2人の後を追う

 キラはその去って行く背中を見て、胸が苦しくなるのが分かった。

(……今まで………そんな呼び方じゃなかったのに………)

 急に何故そんな呼び方になったのか。

 此処が敵陣の中である事は分かっている。

 警戒するのが当たり前だが、ファミリーネームで呼ぶなんて不自然すぎる。

(違う。はきっと……僕の事嫌いになったんだ……)

 最初から好意を持ってくれていたかどうか分からないものの、好きでも嫌いでもない中間だと思っていた。

 しかし、地球に降りてからの態度は変わった。

 いや、もっと前。

 ラクスをアスランに返した後、後方展望デッキでの出来事以来だ。

 明らかに態度が変わったし、口調も違う。

(怒らせたんだ……僕が、の事………)

 後方展望デッキでも、地球に降りて最初の戦闘でも、昨日の晩でも、を怒らせて、自分を失望させるような事ばかりやって来た。

 だから……は多分………。

「お〜い、何をやってるんだ?君はこっちだ」

 1人佇んでいたキラの耳に、バルドフェルドの呼ぶ声が聞こえた。

 待たせているのだと気付き、急いで部屋に入る。

 彼の部屋からは珈琲の匂いがしていた。

「僕は珈琲にはいささか自信があってねぇ」

 部屋をぐるりと見渡し、暖炉の上に置いてあるレプリカに目を止める。

 それに何となく魅了されたキラは、恐る恐る近づく。

「エピデンス01」

「あっ……すみません……」

「いや、気にしなくて良いよ。実物を見た事は?」

「……いえ……」

 実物はプラントに保管されている。

 もし此処ではい、と答えればコーディネイターである事を告げてしまう。

 彼にとってキラとカガリ、の3人はナチュラルであり、民間人。

「そうか……あぁ、珈琲が入ったからどうぞ」

 珈琲カップを渡され、皿ごと手に取るキラ。

 バルドフェルドは視線をレプリカに移し、話を続けた。
 
「何でこれを鯨石って言うんだろうねぇ……これ、鯨に見える?」

「あ、いえ……」

「普通鯨に羽はないだろう?」

「えぇ……まぁ……あ、でも………これは外宇宙から来た、地球外生命の存在証拠って事ですから……」

「僕が言いたいのは、何でこれが鯨なんだって事だよ」

「じゃぁ、何なら良いんですか?」

「う〜ん……何ならと言われても困るが………どう?珈琲の味は」

 訊ねて、バルドフェルドはキラの様子を伺う。

 キラは呆然としていた。

「ん〜……君には分からんかねぇ、大人の味が」

 実に残念そうな表情を浮かべていた。

 キラはそれが可笑しくなり、小さく笑う。

 その頃カガリとはアイシャに連れられ、広い部屋に案内されていた。

 ソース塗れのカガリを風呂に入れ、は鏡の前で座る。

「綺麗な髪ね。ちゃんと手入れしてるみたい」

「……………別に」

「もう。そう不機嫌にならないでよ。綺麗な顔が台無しよ」

「あのねぇ」

「何かしら?」

 にっこりと微笑むアイシャ。

 は鏡越しにそれを見て、再び深い溜息を漏らす。

 もう、何かを言う元気もなくなった。

「良いじゃないの、久しぶりなんだから。たまにはお化粧して、綺麗にならなきゃ」

「もう……好きにして」

「あら、それなら何時も以上に頑張らなきゃね」

 何を頑張るの、と心の中で聞いた。

 と言うか……何故自分が着せ替え人形になっているのかを聞きたい。

 裾が汚れたぐらいで、いちいち洗濯をしていたらどれだけ服があっても足りないだろうに。

「あの子にはどのドレスを着せようかしら……」

 1人楽しむアイシャ。

 は額に手を当てて呆れた。

「まぁ、楽しくも厄介な存在だよねぇ……これも」

 達がアイシャの着せ替え人形になっている間、キラはバルドフェルドとエピデンス01に付いてまだ話していた。

 窓際のソファーにバルドフェルドが。

 対面するようキラもソファーに座る。

「厄介……ですか?」

「そりゃそうでしょう?こんなもん見付けちゃったから、可能性が出ちゃった訳だし……人はもっと先に行ける……ってね。この戦争の1番の根っこだ」

 彼の言葉に、キラは僅かに目を細めた。

 エピデンス01が戦争の根っこだと言う。

 果たしてそれは本当なのか。

「2年程前だったか、1人の少女が此処に来てね。半年とちょっとで宇宙に上がったんだが……その子が言ってたよ。人に無限の可能性なんてない。何処から無限とするのか、それは誰にも決められない。エピデンス01は、人の欲望が生み出した塊だ………とね」

「人の……欲望」

「コーディネイターはナチュラルの夢で生まれた。外宇宙にあったあれを見付けてしまった為に、人の醜い欲望が生まれ、その果てに出来た存在だ。彼らの勝手な理想や欲望の為に生まれ、それを悪と見るブルー・コスモスはテロを起こす。僕達コーディネイターだって、コーディネイターとして生まれたかった訳じゃない。それなのに殺す。結局ナチュラルは、この世で最も醜い欲望の塊なんだと、その子は言っていたよ。僕としても、その意見には賛成だね」

 ナチュラルと比べてコーディネイターの数は少ない。

 その少ない数から、27万人以上が核ミサイルで命を落とした。

 ナチュラルの夢。

 ナチュラルの欲望。

 コーディネイターなら1度は警戒するナチュラル。

 ナチュラルなら1度は妬むコーディネイター。

「その少女……僕の娘なんだけどね」

「む、娘?」

「あぁ、実の娘じゃないよ。育ての親ってとこでね、此処に居る間は娘として可愛がっていたんだが………何時も娘から出る言葉に考えさせられる。まるで何もかも知り尽くしているような言葉。とても明るくて、真面目で、他人を優先させる思いやりのある子だ。だが、瞳だけは何時も悲しそうだった」

 笑っているのに、瞳の奥に宿るのは何時も暗かった。

 何をしていてもそうだった。

(少しは変わったかと思ったが……逆に今は背負い込みすぎている)

 珈琲を見詰め、昔の笑顔を思い浮かべた。

「……唯笑って……」

「えっ?」

 珈琲を見詰めながら言うバルドフェルドに、キラは首を傾げながら言葉を待つ。

「………唯笑って……幸せに暮らせたら、それだけで良いのにな……」

 争う事もなく、誰もが制圧しない世界で。

 お互い、唯笑いあって暮らせる温かな世界。

 そんな世界に暮らせたなら……それだけで、十分だと言うのに。

「バルドフェルドさん」

「いや、悪かったね。こんな話をしてしまって」

「あ……いえ………」

 そんな事はない。

 少しだけ話が聞けて、それはそれで良かったと思う。

「アンディ」

 ノックする音と共に、アイシャの声がした。

 扉が開き、バルドフェルドが関心の声を上げる。

 アイシャに押され、部屋に入るカガリの服装。

 エメラルドグリーンのドレスに軽く化粧をして、アクセサリーも付けている。

 その成りを見たキラは唖然とし、口が勝手に動いた。

「女………の子……?」

「てんめぇぇ!!」

「いや、だったんだよねって、言おうとしただけだよ!」

「同じだろうが、それじゃ!!」

 キラに以前性別を間違えられた。

 確かにカガリは男勝りだ。

 とても女の子、としては見れない部分もある。

 だが彼女も一応女。

 性別を間違えられるのがどれだけ腹立たしいか、キラは分かっていない。

「それで、もう1人は?」

 聞くと、キラの肩が僅かに揺れた。

 カガリと共に行ったも、服をクリーニングすると言う事で連れて行かれた。

 カガリがドレスを着ているのなら、もしかしたら、と言う思いがあった。

「此処よ。さぁ、入って」

 アイシャの招きに、が姿を現す。

「ほぉ……良く似合ってる」

 カガリとは違う薄紫色のドレスを身に纏い、軽く化粧をしている。

 そのスラリとした体型が、キラには驚きだった。

「さぁ、ソファーにかけたまえ」

 言われてキラの隣にカガリが座り、は何故かバルドフェルドの横に腰を下ろした。

 珈琲をカガリに差出、バルドフェルドも席に着く。

「ドレスも良く似合うねぇ。と言うか、実に板についてる感じだ」

「勝手に言ってろ」

「喋らなきゃ完璧」

 言葉遣いと格好が合っていないと言うのは、実に不自然だ。

 確かにカガリはドレス姿が良く似合っていると思う。

 それに負けないぐらい、も良く似合っている。

 これで言葉遣いがマシなら、何処かのお姫様、と言っても通るだろう。

「そう言うお前こそ、本当に砂漠の虎か?何で人にこんなドレスを着せたりする。これも毎度のお遊びの1つか?」

「ドレスを選んだのはアイシャだし……毎度のお遊びとは?」

「変装してヘラヘラ街で遊んでみたり、住民は逃がして街だけ焼いたりって事だ」

 タッシルがその良い例だ。

 カガリは真っ直ぐバルドフェルドを見る。

「良い目だねぇ。真っ直ぐで、実に良い目だ」

「ふざけるな!!」

「カガリ!」

 怒りを露にするカガリ。

 テーブルを叩き付けるカガリに、バルドフェルドは真剣な目で訊ねた。

「君も死んだ方がマシな口かね?そっちの彼、君はどう思う?どうしたらこの戦争は終わると思う?MSのパイロットとしては」

「っ!?」

「お前、どうしてそれをっ!?」

「アハハハハハハ!あまり真っ直ぐすぎるのも問題だぞ」

 立ち上がり、近くのテーブルに足を運ぶ。

 キラはカガリの腕を掴んでバルドフェルドから離れる。

 に視線を向けたが、ソファーから立ち上がろうとしない。

っ!」

 痺れを切らして呼んだものの、動く気配すらなかった。

「戦争には、スポーツの試合のように制限時間や得点はない。なら、どうやって勝ち負けを決める?何処で終わりにすれば良い?敵である者を全て滅ぼして………かね?」

 真っ直ぐ向けられた銃。

 油断していた訳ではないものの、こんな所で敵のMSパイロットである事がばれると思わなかった。

 キラは周りを見て武器になりそうな物を探す。

 それを見たバルドフェルドは小さく笑った。

「止めた方が懸命だな。いくら君がバーサーカーでも、暴れて無事に此処から脱出出来るものか」

「バーサーカー?」

 聞きなれない単語に、キラは思わず聞き返す。

 だがバルドフェルドはそれに答えなかった。

「此処に居るのは皆君と同じ、コーディネイターなんだからね」

「えっ!?お前……まさか」

 レジスタンスには、キラがコーディネイターである事を知らせていない。

 よって、カガリもキラがコーディネイターである事を知らないのだ。

 初めて知った真実に、カガリはキラとを交互に見る。

「君の戦闘を2回見た。砂漠の接地圧、熱対流のパラメータ。君は同胞の中でも、かなり優秀らしいな。あのパイロットをナチュラルだと言われて、素直に信じる程私は呑気ではない。そして、君のさっきの見慣れる立ち回りだ」

 ナチュラルにしては身軽な動き。

 そして正確性。

 あれは子供のナチュラルに出来るようなものではない。

「君が何故同胞と敵対する道を選んだのか知らんが、あのMSのパイロットである以上、私と君は敵同士だと言う事だな」

 一歩後退すると、バルドフェルドが小さく笑う。

 殺される、そう本気で思った。

「あんまり子供を苛めてると、後で痛い目みるよ」

 ジッとしていたが、腰を上げてそう言った。

「おやおや、自ら命を捧げるのかな?」

「初めから命取る気もない人に、言われたくないんだけど」

 キラ達の前に立ち、真っ直ぐバルドフェルドを見る

 暫く2人の睨み合いが続き、声を出して笑ったのはバルドフェルドの方だった。

「やっぱり、どちらかが滅びなくてはならんのかねぇ?」

 銃が下げられ、元の場所に戻される。

 2人の緊張が少しだけ和らいだのを背中に感じながら、バルドフェルドに向けられた視線だけは外さない。

 彼は言葉を続ける。

「ま、今日の君達は命の恩人だし、此処は戦場ではない。今日は泊まっていきたまえ」

「「……はっ?」」

 2人の声が、見事にはもった。

「おや?聞えなかったのか?もう日が落ちる。夜の砂漠は危険だからね、今夜は泊まって明日の朝に戻ったら良い」

「何て能天気な……」

 頭を抱える

「心外だねぇ。僕は唯、君の事を思って言ってるんだよ?」

「えっ?」

 にやりと笑うバルドフェルドに、キラは驚きの目を向ける。

「宇宙に上がる前、僕は言っただろう?例えどんな事があっても、ちゃんと食事と水分補給、睡眠は取るようにって………調子が悪いなら、早く医者に診て貰ったらどうだね」

「そんな事、してる暇ないもん」

「全く……僕は悲しいよ」

「そっちこそ、部下泣かせするの止めたら?ダコスタが可哀相よ」

「おや?僕は泣かせたつもりないんだがねぇ」

「それ、アンディが思ってるだけでしょう」

 言葉を交わす2人に付いていけず、唖然と見ているしかないキラとカガリ。

 この状況からすると、2人は知り合い、と言う事になるが……。

「まぁ、兎に角泊まりたまえ。僕の娘の友達なら、例え誰でも歓迎するよ」

「む……すめ……って、えぇ!?」

。僕の大事な娘だ」

 そう言って、バルドフェルドはにやりと笑った。