時計の針が23時を打った。
ブリッジに上がっていたフラガは欠伸をし、ナタルは眠気のない声でトール達に休憩の時刻を知らせる。
「二等兵らは休憩時間になった。下りて良いぞ」
「やっと寝れるのかぁ」
欠伸をしながら情けない声を出すトール。
ミリアリアは背伸びをして息を吐く。
「では、俺達はこれで」
「あぁ、ご苦労さん。副長、医務室に居る嬢ちゃんにも通信で伝えてやってくれ」
「分かりました。アルスター二等兵、聞えるか」
『………はい』
「定時刻になった。部屋に帰って休んで良いぞ」
『…………分かりました』
通信の後ろで、苦しむキラの声が僅かに聞こえた。
フラガから容態は聞いたものの、自分から様子を見に行っていない。
行こうかと思ったが、行っても何も出来ないので諦めている。
「流石にこんな遅くまで起きてると、眠くなるね」
居住区に向う通路を歩きながら、カズイは欠伸をして出た涙を拭きながら言った。
「これから、もっと大変になるんだろうな」
軍に志願するとは言ったが、こんな事になるとは思ってもいなかった。
「仕方ないわよ、志願しちゃったんだし」
慣れない生活でどうなるか分からないが、皆が居るから頑張れる。
ミリアリアが笑顔で言うと、残り3人も小さく頷いた。
「それじゃ、また明日」
「お休みぃ」
男女で部屋を分けたので、ミリアリアが寝る場所にはフレイしか居ない。
だがそのフレイは、まだ部屋に戻っていなかった。
「どうしたんだろ」
医務室に居る事は分かっているので心配しないが、帰って来ないのに不審を抱いた。
その頃のフレイは、ナタルの知らせを無視して医務室に居続けていた。
(誰が寝るものですか)
父を失ったフレイは、コーディネイターを恨んで軍に志願した。
見殺しにしたキラを利用して、コーディネイターを倒させる。
戦って、戦場の中で命を落す。
それがフレイの野望。
「あれ?まだ居たの」
医務室のドアが開き、入って来た人を見てギョッとした。
「定時刻、過ぎてるわよ」
ショルダーバックを持ち、先程持って行った小瓶を元の場所に戻す。
フレイはそんなの行動を見ていた。
「他は皆戻ったわ。貴方も、ゆっくり寝て来なさい」
「……何で………何であんたが此処に居るのよ」
「何でって、貴方が休憩に入るから交代しに来たに決まってるでしょう?」
「私、交代なんてしないわ」
「決まりよ。従って貰う」
「何であんたなんかに!」
声を上げ、を睨む。
だがは、それに怯む様子も見せず目を細めて言った。
「上官命令だ、アルスター二等兵。逆らう事は許さない。軍人なんでしょう?今の貴方は」
上官命令は絶対。
フレイは殺意に満ちた目で睨んだが、気にも止めずバックを机に置いた。
「ヘリオポリスからこっち、ずっとザフトに追われていたから皆緊張しっぱなし。行き成り降下しちゃって、場所も見事にザフト勢力圏内。そんな場所でゆっくり寝ろ、なんて無神経かもしれないけどさ」
パソコンを立ち上げ、棚の中から体温計を取り出す。
それをキラの脇に挟み、首筋の動脈に手を添えた。
「恐らくザフトもすぐ攻めて来ないわ。行き成りこんなのが降りて来て、あっちも警戒してるだろうから。寝られる時に寝ろ。それはパイロットに限らず、皆同じよ。貴方も、例外じゃないわ」
「そう言うあんたはどうなのよ。寝たんじゃなかったの?」
「寝たわよ。でも、やらなきゃいけない事が山済みだからね。私はパイロットだけど、それだけが仕事じゃないもの。さて、お喋りは此処までよ。貴方ももう寝なさい。時間とルールは守って貰うわ」
フレイを立たせ、背中を押して医務室から出す。
「此処には自由なんてないの。我儘言うなら降りて貰うから」
ドアを閉め、内からロックをかける。
2、3度ドアを叩く音もあったが、暫くして人の気配も消えた。
はそっと息をつき、ロックを解除して外を見る。
「ラクスと大違いだわ」
彼女は彼女で大変だが、フレイに対しては扱いにくい。
「さてと」
計っていた体温計を取り、表示された温度を見て眉を顰める。
キラのカルテをデータ上から呼び起こすと、最初に記入されている温度と比べて2度しか変化していない。
「今夜が一番大変ね」
バックから男性用のシャツとタオルを出す。
キラのシャツは汗だくで、着ている方も気持ち悪いだろう。
シャツを手際よく脱がし、タオルで拭く。
その後から氷の入った水に別のタオルを浸け、絞ってから全体を拭いた。
新しいシャツに着替えさすと、タオルに巻いて持って来た氷枕を引いてやる。
「急激には冷やせないからね。辛いだろうけど、頑張って」
軽く髪を梳きながら言った。
室内温度は25度。
フレイが居た時で27度設定だったが、が2度設定を落とした。
寒いと思わない自分は、やはり体内温度が高いのだろうか、と疑う。
アラームを止めた後、眠気を掃う為にシャワーを浴びたのだが、ほとんど水だったように思う。
それでもあまり冷たいとは思わなかった。
「私は大丈夫よ」
自分に言い聞かせるよう、小さく呟いた。
キラと比べたら、自分はまだ楽な方だ。
は絞ったタオルで汗を拭う。
そしてポツリと、小さく歌を歌い始めた。
とても優しい声で、優しい歌を。
優しい表情で、優しい眼差しを。
医務室を、小さな優しい歌声が包んだ。
暗闇の中、音も光もない世界で1人立っていた。
どれだけ人を呼んでも返事がなく、どれだけ走っても何も見付からない。
誰も居ない。
何もない。
1人佇む世界。
不安と恐怖。
絶望と悲しみ。
「……僕は……」
誰も居ない、たった1人。
「………いや……だ………」
ナチュラルばかりの中に居るコーディネイター。
裏切り者の、コーディネイター。
「違う!僕は、裏切ってなんかっ!!」
裏切ってる訳じゃない。
唯、友達を助けたいだけだ。
それだけで、唯それだけで。
「ねぇ!誰か僕を助けてよ!!僕を1人にしないでっ!!」
初めて感じる孤独。
初めて感じる絶望。
胸が棘で締め付けられるような痛み。
闇が、怖い。
声が、怖い。
「いや………だよ…………アスラン」
撃つと言った友人。
その言葉に、自分も同じ意思だと伝えてしまった。
そうではないのに。
彼の大事な婚約者を盾にして、大事な婚約者を傷付けて。
誰も分かってくれない。
誰も気付いてくれない。
苦しい。
「……たす………けて……」
身体が熱い。
身体が痛い。
胸が苦しい。
「死ぬの……かな?」
誰も居ない暗闇の中で。
たった1人、誰にも気付かれずに。
「………………何?」
小さく聞えた声。
いや、声でもこれは歌だ。
「誰?」
暗闇の世界。
上を見上げ、耳を澄ました。
徐々にハッキリしてくる歌声。
闇に、一筋の光が照らされた。
「優しい歌」
熱かった身体が徐々に熱を引き、痛みも和らいだ。
胸の苦しみが、嘘のように晴れた。
光が、温かい。
キラはゆっくり目を閉じた。
目を開けると、見慣れない天井が目に入った。
「キラ、気がついたの!?」
驚きの声が聞こえ、視線をそちらに向ける。
「……此処……は?」
「艦の医務室よ。昨日の夜、地球の砂漠に着いたの。キラ、着艦した時には意識がなかったみたいだから、覚えてないでしょうけど」
椅子に座ってフレイが答えた。
「歌」
夢の中で聞いた歌。
あれは幻聴だったのか。
「歌なんて聞えないけど?」
「あ……うん」
やはり夢なのか。
とても優しい声だった。
聞き覚えのある声で……。
「ご飯食べるでしょう?昨日の晩から何も食べていないんだもの、少しは食べないと」
「あ、うん……ごめん」
「気にしないで。ちょっと行って来るわね」
出て行くフレイを見送り、キラは上半身をお越して頭を振った。
肺の中の空気を空にし、新しい空気を入れて血の循環を良くする。
僅かに目眩がするのは何故だろう。
寝すぎたのかと思ったが、右腕にガーゼが当てられているのに気付いた。
ガーゼを外すと、もう薄くなって分かりにくいが針を刺した跡があった。
「何で?」
答えてくれる者は当然いない。
キラはガーゼをゴミ箱に捨て、もう一度横になった。
頭が混乱している。
そして、キラとは別の意味で混乱している者が格納庫に居た。
「ストライクの支援戦闘機………ねぇ。ストライカーパックも付けられますって、俺は宅配便か?なぁ、曹長。おい、聞いてるのか?」
「えっ?あぁ、そう言えば全員昇進したんですっけ」
スカイグラスパーの調整をしているマードックは、下に居るフラガを見下ろしながら苦笑する。
昨晩、に言われたばかりだというのに、すっかり忘れていた。
「ハルバートン提督の計らいとはいえ、この状況で昇進してもなぁ。給料上がんのは嬉しいけどさ、何時使うの」
「貯めておけば良いんじゃないですか?自分の身にもしもの事があった場合、貯めたお金は軍に渡すか、誰かに譲るか手配をして」
もう一機のスカイグラスパーの調整をしていたが、会話に参加してそう言った。
「あのなぁ、考えたくもない事言うなよ」
「あら、私は既に手配してますけど?自分が死んだら、そのお金を全てある所に寄付するって」
「おいおい」
「ある所って、何処ですか?」
「孤児院と被害地」
即答し、聞いた2人は目を丸めた。
「給料の3分の2は孤児院と戦争の被害地に寄付してます」
「これまた………大佐のやる事は凄い事で」
子供の考える事ではないな、とフラガは内心思う。
確かに軍人は、階級によって給料が変わってくる。
まだ16のにとって、軍で得たお金は手に余るだろう。
「でも、今は大量のお金がいるわ」
「アラスカに行くまで、燃料物資が底を尽きない訳ないからなぁ」
「と言っても、この砂漠に友軍なんて居ないでしょうけど」
「街に行けば物資は手に入るさ。でも、弾薬は流石に」
「ないでしょうね、普通は」
はぁ、と3人同時に溜息をつく。
「でもさ、もうこれ以上此処でジッとはしてられんだろ」
「流石に、もう攻めて来てもおかしくはないでしょうからね。当然上からも連絡が行っている筈よ。このまま見逃す、何て馬鹿な事絶対しないわ」
特に砂漠の虎は、と心の中で言う。
この辺一体を治めているのは、ザフトの砂漠の虎。
とても慎重深く、何を考えているか多少分からない事もある。
そしてもう1つ。
(味方に付ければ、弾薬の補充は出来るわね。でも、彼らが此処に来るか…………)
砂漠の虎を相手に抵抗しているレジスタンス。
名を、明けの砂漠と言う。
「そう言えば、坊主はどうなんです?」
「俺が見に行った時にはまだ寝てたよ。昨日よりマシだったけどな」
「そろそろ起きても良い頃だとは思うけど……まぁ、寝てくれても問題はないけどね」
「大佐、ちょっとセレス良いですか?」
「は〜い。よっと」
スカイグラスパー2号機から降り、背伸びをしながら整備士の元に向う。
それを見ていたフラガは、マードックにそれとなく訊ねた。
「スカイグラスパー、何時使えるんだ?」
「そう言われてもねぇ、まだ時間がかかりますぜ」
「敵が来ない事を祈るしかないか」
「大佐が居るから大丈夫ですって」
「そりゃそうだろうけど………嫌なんだよ、俺が」
子供に守られていると思うと、自分の力の無さが悔しくてならない。
いくら正規軍とは言え、16の少女にアークエンジェルの全ての命を背負わせる事はしたくなかった。
「1人で背負わせたくないんだ。だから、急いで頼むな」
「任して下さい」
笑顔で答えるマードックに、フラガは小さく頷き返した。