アークエンジェルは踏み入れてはならない所に踏み入れようとしていた。
ブリッジのモニターに映し出された巨大なプラント。
「……ユニウスセブン………『血のバレンタイン』の悲劇の地………か」
話は数時間前に遡る。
民間人を乗せたアークエンジェルは、アルテミスで補給が出来ず宇宙を彷徨っていた。
月に向っている事は確かだが、水不足の為クルー達が頭を悩ませていた。
そこで思い付いたのがデブリ帯での補給。
反対の声も上がったが、生きる為には仕方がない。
「生きるしかないんだ、今の私達は。死んだ者は還らない。ならば、生きている者を救うのが我々の使命だ」
最高責任者のがそう言えば、誰も逆らう事は出来ない。
だからこそ調査隊を出したのだが、それはあまりにも悲惨だった。
「まさか、こんな所でまた会うなんて……ね」
「?」
呟かれた言葉を聞き取る事が出来ず、マリューがを呼ぶ。
「何でもない。さて、どうしたものか」
ユニウスセブンは地球軍の核攻撃で堕ちた。
そこにはまだ大勢の人が眠っている。
帰る事も出来ず、唯そこに浮いて眠っている。
水はある。
食料も、恐らくあるだろう。
弾薬は、宇宙船にでもある筈だ。
「皮肉だな」
とても、皮肉だ。
「中佐、調査隊が帰還しました」
「そう」
作業を手伝うよう言われたキラ達は、あのユニウスセブンの地を踏んだ。
そこで見たものは、生涯忘れられないだろう。
そして、これからやる事も。
「憎むわね、彼ら」
キラ達も、ユニウスセブンに眠る人々も、そして………アスラン達ザフト兵も。
「ごめんなさい」
それが誰に対しての謝罪なのか、マリューは理解する事が出来なかった。
その後、1トン近い水を運び出し、必要な燃料物資を手に入れた。
作業は順調に進んでいると思われたが、キラが救命ポットを拾って帰還して来た。
話によると、ザフトのジンがうろついていて、撃沈させた時に見付けたらしい。
「君はつくづく拾い物が好きだな」
そんな小言をナタルから言われながら、キラは気まずそうな表情を浮かべる。
「開けますぜ」
エンターキーを押すと、ポットの扉が開き、ピンクの球体が飛び出して来た。
「ハロ、ハロ」
「はっ?」
(ハロぉ!?)
我が目を疑ったが、何度見てもピンクのハロ。
元同僚にして後輩のアスラン・ザラが作った、世界初のピンクハロ。
そしてそれは、あの少女の所有物。
「有難う。ご苦労様です」
ピンクの髪が広がり、天然とも言える言葉で出て来た少女。
「ラクス………クライン」
少女の名はプラント最高評議会議長、シーゲル・クラインの娘ラクス・クライン。
アスランの婚約者だ。
「あら?あらあらあらぁ?」
これはどうした事か、とでも言いたげな表情だが、あまり驚いていないように見えるのは気のせいではない。
無重力にバランスを崩しそうになりながら、止まる事も出来ないラクスにキラが手を差し出し、引っ張った。
「有難う」
優しく微笑むと、キラの着ている軍服の腕章を見てようやく驚いた。
だがこれも、心底驚いているようには見えない。
「まぁ!これはザフトの艦ではありませんのね?」
「はい?」
皆が、そう間抜けな声で疑問系の返事をした。
ラクスはハロを呼び、どうしましょうかハロ、と困ってもいないような表情で言っていた。
は頭を抱え、息をつき、そっと近づいた。
「此処はザフトの艦ではありませんよ、ラクス嬢」
「まぁ!」
が話しかけて来た事で、ラクスは目を輝かせた。
それを間近で見ていたキラは首を傾げたが、ラクスが次の言葉を言うよりも先にが口を開いた。
「お初お目にかかります、ラクス嬢。私はこの艦の最高責任者、・と申します。何故貴方がこのような所におられたのか……詳しいお話をお聞きしたいので付いて来て頂けますか?」
「中佐!」
「そう怒鳴るな、少尉。彼女はコーディネイターだが民間人に変わりはない。それはこの私が保証する」
「しかし」
「心配するな。責任は私が取る。それで良いだろう?キラ」
「は、はい!」
突然呼ばれ、声が裏返りそうだった。
は小さく笑い、お礼を言った。
「彼女を失う訳にはいかないのでね。君には感謝するよ」
「は、はぁ」
「では参りましょう、ラクス嬢」
「分かりましたわ」
「ハロ、ハロ、ラ〜ク〜ス〜」
とマリューら指揮官達がラクスと共に格納庫を出て行き、残された者達はそれぞれの仕事に戻った。
「……気になる……」
「「「「はぁ?」」」」
「気になんねぇの!?」
だから何が、とキラ達はトールに向かって疑問の表情を向ける。
トールは額を押さえ、ビシッとキラに向かって人差指を立てる。
「こんな所でポットに入っていた可愛らしい女の子!一体何でこんな所にいたのか、気になるだろ!?」
「「「「あぁ、そう言う事」」」」
「〜〜〜〜〜ッ4人ではもるな!!」
5人の会話を近くで聞いていた整備班達は、仲が良いなぁ、と思いながら苦笑する。
そしてトールが何かを思い付いたらしく、マードックに向って大声を出した。
「すみません!俺達、急用を思い出したんで抜けます!!」
「「「えぇ〜っ!?」」」
「何ぃ!?」
「10分で戻りますんで!!」
「おいっ!ちょっと待て坊主共!!」
「失礼しま〜す!!」
「「「こら、トール!!」」」
問答無用、とばかりにキラ達の背中を押し、さっさと格納庫から出て行く。
お見事、と周りの整備班達は思った。
「あぁ、トールの馬鹿」
「じょ、嬢ちゃん!?」
何時の間にかマードックの隣に浮かんでいたミリアリアは、そっと息を付いて呆れていた。
「い、一緒に行ったんじゃ……」
「こうなるだろうなぁって、何となく分かったんで」
逃げました、とあっさり答える。
この艦内では既に、トールとミリアリアが付き合っているだろうと噂が流れている。
さすが彼女だ。そう、マードックは感心した。
「ポットを拾って頂き有難う御座いました。私はラクス・クラインですわ」
のほほとした穏やかと言うか、マイペースと言うか、どうにも此方の感覚を鈍らせてくれる彼女は、自分から正体をばらした。
己が敵陣の中に居るとは、あまり自覚していないように伺える。
「これは友達のハロです」
誰も聞いていません、と顔に書いてあるがラクスは気付いていない。
(何処にいてもラクスはラクス……か)
アスランが苦労するのも無理はない。
ラクスは、アスランにとって正反対の性格。
おまけにここまで天然だと、あのアスラン・ザラとて悩む訳だ。
(応援しか出来ない私を許せ)
今は遠く離れた元同僚にして後輩のアスランに、心からそう告げた。
「やれやれ………かのプラント最高評議会議長も、シーゲル・クラインとか言ったが………」
「あら、シーゲル・クラインは父ですわ。ご存知ですの?」
ご存知も何も、敵のトップを知らない者はそういない。
珍しく、あのナタルまでもが溜息をついた。
「んで?何で中佐が彼女の名前を知ってんだ?」
「仕事柄な。プラント最高評議会議長であるシーゲル・クラインの1人娘は、プラントでも有名だ。プラントの歌姫、とまでも言われている。私が、それを知らない訳ないだろう」
「情報も色々持ってるって訳ね」
「何だ?それは褒めているのか?それとも、皮肉か?」
「さぁて、どっちだろうねぇ」
呆れているところから見ると、どうやら先程のは皮肉のようだ。
特殊部隊であるにとって、敵陣の情報は彼らより多い。
何でも知っているようで、フラガは多少なりとも不愉快だったのだろう。
「バジルール少尉」
「はっ」
名前を呼んだだけで、ナタルはが何を告げようとしたのか理解し、ドアに移動する。
ドアが開くと、へばり付いていたトール達が倒れて来た。
「あ、あはははは」
「お前達はさっさと作業に戻れ!!」
「「「は、はい!!」」」」
ナタルの雷がトール達の頭上に落ち、慌てて格納庫に向って走る。
それを唯見ていたキラは苦笑し、ナタルの間から見えるピンクの少女と目が合った。
笑顔で手を振られ、キラは恥ずかしくなってその場を後にする。
「ご苦労様、少尉」
「いえ」
短く返事をし、マリューが気を取り直して話しの続きをする。
「それで、そんな方がどうしてこんな所に?」
「大方、ユニウスセブンの追悼式典の為の調査だろう。もうすぐ、1年が経つ……」
「あっ」
C.E70に勃発した『血のバレンタイン』は、多くの命が奪われた。
「事前調査の為に来ておりましたの。そうしましたら地球軍の艦と私共の船が出会ってしまって………臨検すると仰るのでお受けしたのですが、地球軍の方々は私共の船の目的がどうやらお気に触ったようで………些細な諍いから、船内は酷い揉め事になってしまいましたの」
「それで救命ポットに?」
「はい。その後、地球軍の方々がお心をお静めになって頂ければ宜しいのですが………」
それは恐らく、ない。
達は互いに顔を見合し、視線を落とした。
キラから聞いた話だと、ポットはまだ新しい民間船の近くで浮遊していたらしい。
そしてその船を、は知っている。
名を、シルバーウィンドと言う。
それが、キラが発見した民間船だ。
「恐れながらラクス嬢」
沈黙を破ったは、穏やかに問う。
「その地球軍の船に、何処の物か現す何か……ご覧になっておりませんか?」
「そう仰いましても………そうですわね、私達の最初の方、と言えばお分かりになります?」
「初めの―――あぁ、なるほど」
「えっ?ちょい待てよ、何だ?」
「大尉には分からないかもしれませんね。お馬鹿だから」
「〜〜〜〜っ!!!!」
「はいはい、怒らないで下さい」
「今、俺を思いっきり馬鹿にしたろう!?」
「だって、馬鹿だもん」
くすくすくす、とラクスが笑う。
フラガは怒るのを止め、ぷいっと横を向いた。
「さて、お話はこれまでだ。ラクス嬢には申し訳ありませんが、暫くの間此処に居て頂きます。食事などは此方からお持ち致しますので」
「分かりましたわ」
椅子に座っていたマリューが席を立ち、皆部屋から出て行った。
ブリッジに帰る途中、マリューがそれとなくに訊ねる。
「さっき、ラクスさんが言っていた事って……」
「ちょっと頭を捻って、顔が広くなかったら分からない謎々。名前を言えば良いんだけど、ちょっと待ってて欲しいのよ」
「何でだ?」
「まぁ、色々。多分、後で分かるんじゃないかな」
―――私達の最初の方。
それはコーディネイターの最初の人間を指している。
最初の人間とは、ジョージ・グレン。
彼に関係、もしくは似ている者が居た、とラクスは言っていたのだ。
そしてその人物に似ている者。
地球軍で同姓同名はいなくても、同名はいる。
(大西洋連邦事務次官のジョージ・アルスターだな)
ラクスが彼の名前を初めから知っていた訳ではない。
恐らく、臨検する時に一緒に来て名乗ったのだろう。
ラクスはそれを覚えていた。
「全く、恐れ入る」
「何か言った?」
「ん?なぁにも」
そう、何もない。
此処では地球軍の・を演じなければならない。
ラクスの前では、ザフトの兵士を演じなければならない。
面倒だが、現実がそうさせる。
何もない。
そうやって、自分を騙し、相手を騙し、世界を騙す。
(それが、この世界で生きる・の宿命)
16の少女が生意気な、と大人は言うだろう。
だが、大人が何を言おうと関係ない。
大人など、初めから信用していないから。
「ラミアス艦長」
「はい?」
「作業が終了したら月に向う。無事に合流出来るか分からないが、作業を急がせろ」
「了解」
「来ると………思うか?」
「クルーゼ隊だし」
「だな」
あの仮面はしつこい。
そして、クルーゼ隊始まって以来の任務失敗だ。
どんな事があってもその穴を埋めなければならない。
何にせよ、宇宙でも、艦内でも問題なく合流出来る事を祈るしかなかった。
それが見事に裏切られるだろう事は、分かっていたが………。
「コーディネイターの癖に、馴れ馴れしくしないで!!」
食堂で、ラクスの食事を取りに行った時の事。
こうまで的中すると、自分と言う存在が嫌にもなる。
は、そっと食堂で溜息をつき、足を踏み出した。