闇の中を飛ぶハーブローフ。

「一騎の野郎。俺達を置いてとっとと行っちまいやがって」

 操縦レバーを握り締め、近付いて来た竜宮島を見下ろす。

「着陸許可、来ました」

 戦闘態勢ではない竜宮島を見て、敵がいないのだと悟る。

「敵、もういないみたいだなぁ」
「一騎君……やったんだ。あんなに疲れてたのに」

 モルドバで慌てたように飛び出した一騎。
 疲れが吹っ飛んだかのようにも見えた。

「やっぱ、愛だな、愛。つまり、お嬢ちゃんが島を救ったって訳だ」
「そんなっ!あたし……何もしてません」
「アハハハ。照れるなって」

 からかう恭介に真矢は複雑な思いになる。
 島を救ったのは一騎だ。
 そして、島を守る道を選択したのも一騎。

「お前は重要な戦力を持ち出し、島の機密を漏洩した。アルヴィスの総員によっては、追放もありうる。処分が決定するまで、此処で大人しくしていろ」

 心理障害用の保護室に入った一騎は、寝台に腰を下ろして史彦の言葉を聞いた。
 用件だけ述べ、部屋から出て行こうとする史彦の背中に、一騎は視線も向けず口を開けた。

「…………母さんのこと………溝口さんから聞いたよ。父さんは………悪くない」

―――俺のせいだ。

 小さく見せた背中。
 言葉の意味を理解した今、一騎が父親に言ってやれることはこれくらいしかない。

「……………帰ったら母さんに謝れ。2度と黙って出て行くな」

 帰ったら。
 それはつまり、一騎の追放はないことを意味している。
 史彦はそのまま部屋を出て、自動的にドアが閉まった。

「息子を、心理障害用の保護室に閉じ込めるとはなぁ」

 帰還した恭介と真矢。
 真矢は心配そうに史彦を見詰める。

「遠見先生の診断だ」
「心神喪失による衝動的な行動……ってか?」
「あの!一騎君はどうなるんですか?」

 ファフナーも持ち出し、敵前逃亡をした一騎。
 通常なら、それなりの処罰がある筈だ。

「心配ねぇって。それより、渡す物があるんだろう?」

 恭介に言われて、ある物のことを思い出した。
 ポケットをあさり、1枚のディスクを取り出す。

「日野洋治さんがこれを。あと、研究を手伝ってくれた人に後を任せると、伝えて欲しいと言われました」

 真矢から受け取り、視線を恭介に向ける。

「洋治は?」
「逝っちまったよ。フェストゥム共を道連れにな」
「そうか。何もかも世話になってしまったな。ありがとう」

 軽く頭を下げると、真矢が慌てて返事をする。

「ところで史彦。のことだがな」
「今、メディカル・ルームで眠っている」
「彼、帰って来ていたんですか?」
「あぁ、我々を助けてくれた。彼のことは暫くそっとしておいて欲しい。真矢君、君はこれからメディカル・ルームに行って遠見先生の診断を受け、報告書を作成してくれ」
「は、はい!」
「溝口、バーンズの所に行く」
「へいへい」

 史彦が真矢の横を通り抜け、恭介と共にその場を去って行く。
 2人の背中を見送った真矢は、一騎のいる部屋のドアを見詰めた。
 無事に帰って来た。
 真矢はようやく肩の荷が下りたような気がした。





 薄暗い中、自販機の光りが2人の人物を照らした。

「初めまして、総士」

 そう言ったのは岩戸から出た乙姫。
 総士は妹を見下ろし、小さく笑った。

「この服、着るの難しいね。まだ、手が上手く動かせないの」

 一騎と別れた後、乙姫は更衣室に向って自分に合う服を探した。
 アルヴィスの制服は少しだけ変わっていた為、岩戸を出たばかりの乙姫にとっては着づらい。
 総士は乙姫の前で屈み、服をちゃんと着せてやった。

「何故岩戸を出たか、聞きたい?」
「それがお前の意志なら………僕はそれに従うだけだ」
「意志じゃないよ。これは、夢だよ」
「夢?」
「世界を……この目で見て、この手で触れたい。そういう夢が叶ったの」

 それは人間として生きることを望んだ結果。
 総士は立ち上がり、優しい目で妹を見る。

「何でも、望み通りにしよう」
「家族皆で……暮らしたいな」

 亡き皆城公蔵と鞘。
 そして兄である総士と共に。
 だがそれは、皆城家に生まれた者には出来ない夢。

「安心して。ただの我が侭だから。そういう時は、お兄さんらしく無理だって言って良いんだよ、総士」
「あぁ」

 普通の家族として、また普通の兄妹として暮らすことが出来ない2人。
 だが、他の誰よりも深い繋がりがある。

「メディカル・ルームに行くの。千鶴に呼ばれちゃった」
「分かった。行こうか」
「うん!」

 嬉しそうに笑う乙姫につられ、総士も小さく笑った。
 2人はゆっくりとした足取りでメディカル・ルームに向う。
 その頃、史彦と恭介はバーンズの元を訪ねていた。
 先の戦闘で怪我を負ったバーンズは、指揮官室で2人を相手に話し出す。

「シンクロニシティだ。人類が力を手にすれば、フェストゥムがそれを読み取り我が物とする」
「敵の強大化は事実だが、島が全ての原因ではなかろう」

 今話し合っているのは、この島を捨てるか捨てないか。

「竜宮島を通して、敵が人類の力を呼んでいるのだ」
「では、我々も島を通して敵の力を読めるのだな」
「あくまでも島を捨てる気はないか」
「無論だ。そちらはどうする気だ」

 多くの犠牲を払ってまで守ってきた島を、今更手放す訳にはいかない。
 この島は希望であり、未来への導。

「明朝、この艦は出航し、もう一隻は島に残す」
「一隻を盾にするつもりなのか!?我々は攻撃などしない!」
「信用する訳にはいかん。のこともある」

 人類軍のパイロット指導員兼技術開発者である

「まさか、あの男がスパイだったとはな」

 アルヴィスに籍を置くは、元司令官である公蔵の命により新国連へ潜り込んでいた。
 つまり、は二重スパイをしていたのだ。

「だが、彼のおかげで人類軍はその存在を保つことが出来ている。違うかね」
「確かにな。だが、スパイはスパイ。奴が何をそちらに知らせているか、全く分からん!」
「…………話しは終わりだな。どちらも無傷で返すと、約束しよう。それから、君は此方に返して貰う」

 それだけを言い残し、史彦は恭介と共に指揮官室を出て行く。
 出て行った後、バーンズは閉まったドアを見て言った。

「貴様らの存在そのものが危ういのだ」

 世界にとっても、人類にとっても。
 バーンズの漏らした言葉を耳にすることなく出て行った2人は、デッキに出て立っている2人の人物に目をやった。
 人類軍の制服を着た、見覚えのある顔。

「どうも。ご無沙汰してます」
「驚いたな。道生君か」

 洋治と共に島を出て行った道生。
 最後に見た時から月日が流れている為、成長した道生を見てもすぐには分からなかった。

「ちょっと……聞きたいことがあるんですが」
「何だね?」
「例の新型に………誰が乗ってたか教えてくれませんか?」

 モルドバで作られていた筈の機体。
 道生としては、父親が作り出した機体に誰が乗っているのか知りたかった。

「………………一騎だ」
「あいつが?」

 驚きの声を上げたのはカノン。
 史彦はカノンに目を向けた。

「知っているのかね?」
「戦闘の途中で攻撃を止めた臆病者だ」
「攻撃を……止めた?」

 人類軍と戦い、攻撃を止めた。
 過去、人間同士で血を流し合う戦いをした史彦にとって、一騎が攻撃を止めたことを聞いて心の底から安堵した。

「そうか…………誉めてやらねばならんな」

 人間同士と戦うのではなく、共に平和な世界に生きることを望む。

「それと、のことなんですけど」
「今、メディカル・ルームで眠っている。暫くは起きないだろう」
「そうですか」

 道生もカノンも、が二重スパイであることを知らされている。
 本来なら腹を立てるのだが、海に落ちていったところを見ていたので心配の方が強かった。

「様子を見に来るかね?」
「いえ。寝顔とか見たら殴られそうなので、止めておきます。のこと、宜しくお願いします」

 軽く頭を下げると、史彦は頷いて再び歩き出した。
 そしてのいるメディカル・ルームでは、真矢が千鶴に怒られている最中だった。

「ほんとに分かってるの!?」
「………ごめんなさい………」

 傍で寝ている人がいるんだから怒鳴らないでよ、とは流石に言えない。
 精密検査を受けさせられ、ここぞとばかりに怒られる。
 とんぼ返りの真矢にとって、早く休ませて欲しい、と言う気持ちがあった。
 だが、それも言えずに小さくなる。
 先程からはい、か、ごめんなさい、しか言っていないような気がする。

「今日はもう良いから、早く帰って寝なさい。報告書も、明日に引き伸ばして貰えるようお願いしておくから」
「……はい……」

 やっと開放される。
 正直言って、母親に怒られる方がよっぽど疲れたような気がする。
 真矢が椅子から立ち上がると、奥のベッドでカーテンが引かれている方に目をやった。

「ねぇ、お母さん。君、大丈夫なの?」

 何故が眠っているのか真矢は知らない。
 千鶴は隠してある刀に目をやり、ベッドの方に視線を移す。

「大丈夫よ。心配いらないわ。さっ、早く帰りなさい」
「はぁい」

 とぼとぼと部屋を出て行く真矢。
 千鶴は立ち上がり、ベッドの方に足を向けた。
 メディカル・ルームを出た真矢は、目の前に立っていた人物に驚き、息を飲んだ。

「皆城君」
「初めまして、真矢」
「へっ?」

 聞きなれない声。
 声は下から聞えた。
 視線を下に向けると、見たこともない少女が立っている。

「ねぇ、千鶴は中?」
「えっ?うん」
「じゃぁまたね、総士」

 真矢。
 千鶴。
 総士。
 どう見ても年下である少女が呼び捨てで言う。
 そして何より、何故自分の名前を知っているのか。
 メディカル・ルームに入って行った少女を見て、ドアが閉まった後に総士を見る。

「………あの子………………誰?」

 当然の質問だ。

「皆城乙姫。僕の妹だ」
「妹!?いたんだ……」
「事情があって…………ずっと、ある施設にいた」
「…………そうなんだ…………」

 驚きはあったが、総士のことも何も知らないのだと改めて思い知らされたような気がした。

「…………ねぇ、一騎君とお話した?」
「遠見には関係ない」
「でもあの時約束したじゃない!」
「パイロットでもないのに!口を出さないでくれ……」

 言ってから、総士はハッとなった。
 皆が戦っている中、真矢だけが戦闘には出ていない。
 それが悔しいと、真矢が密に思っていることを総士は知っていた。

「…………解ってるよ………………そんなこと……………でもっ、皆には仲良くして欲しいじゃない。誰かがいなくなる度…………喧嘩ばっかり……………」

 竜宮島の生活が崩れただけでなく、友達関係も崩れてしまった。
 戦うことが出来ない真矢にとって、喧嘩をしている姿は見ていられない。
 総士は気まずさのあまり言葉を区切った真矢の前から立ち去り、数歩歩く。
 それを真矢が止めた。

「お願い!一騎君とちゃんと話して!あたしもと話すから!!」

 足を止めた総士は暫く動かず、肩越しに振り返ってこう言った。

「………とは………暫く会えない」
「えっ?」

 目を見開いて驚く真矢。

「会えないって、どう言うこと?」
「…………Gシステムを長時間起動させていたんだ。今回の襲撃で、の肉体にも大きな負担がかかった。暫く、安静に休むよう司令の指示が出ている。当分、は誰の前にも現れないだろう」

 そう言って、総士は真矢の前から立ち去った。
 真矢は総士が言った言葉が理解出来ず、その場で立ち尽くす。
 帰ってから話そうとしていた決意が、ゆっくりと音もせず崩れていくような気がした。