帰還した少年が持ち帰ったもの。
 時間をかけ、知りえた擦れ違いの心。
 世界にとって、驚異的な存在となりうる機体。
 少年が見た、真実の世界。
 少年達が感じた、新たな風。
 世界は、再び姿を変えようとしていた。










 一騎の呼吸が落ち着いてから、ようやく総士が声をかけた。

『大丈夫か、一騎』

 総士もシステムを通じて分かったのだろう。
 一騎の乗るマークザインがどれ程の威力を持っているのか。

「あぁ………大丈夫だ」

 モルドバでの戦闘を終え、休む暇もなく此処まで来た。
 数時間の内に2回も戦闘をした一騎の身体は、通常ならもう身動きも出来ない程である。
 それにも関わらずまだ動くのは、恐らくガーディアン・システムのおかげだろう。
 一騎は灯台に視線をやり、此方を見ている3人を確認した。

「……真壁……」

 全身の力が抜けた。

「うっ!?おもっ!」
『一騎!?』
「……急に………か……らだ、がっ」

 CDC、ジークフリード・システム、マークザインのモニターに、ガーディアン・システムのクロッシング解除が表示された。
 倒れそうな機体を持ち堪えさせる為、一歩踏み出してバランスを取る。
 目を細めてそれを見たは、何時までも呆然としている千鶴に声をかけた。

「……千鶴さん、島から出て行った真壁は……心神喪失による衝動的な行動、ということにして下さい」
「えっ?」

 マークザインを見詰める
 千鶴は目を丸め、乙姫は心配そうにを見上げた。
 それに気付いたは小さく笑い、目を閉じた。
 身体の力が抜け、崩れた。
 崩れた身体は柵を越え、海に向って落ちる。

君!!」
!!」

 突然のことに腕を伸ばした千鶴。
 手は宙を掴み、を捕まえることは出来なかった。

君!」
「きゃぁぁぁぁぁ!!!」

 CDCのモニターで見ていた史彦達が叫んだ。

!」
「ノーネーム!!」

 戦いを最後まで見ていた道生とカノンも叫ぶ。

『一騎!!』

 一騎の目を通して見ていた総士も叫んだ。

「わ………かってっ!!」

 重たい身体。
 それを無理矢理動かし、大地を蹴った。
 海面の水が水飛沫を上げる。

!!」

 鉛のように重い腕を伸ばした。
 誰もが目を見張った瞬間だった。




◇    ◆    ◇




 波の音が耳に入り、潮風が鼻をくすぐった。
 ひんやりとする風が頬を撫でる。
 人の呼び声が聞えた。

「………………うっ」
!?しっかりしろ、!!」

 薄っすらと開けられた瞳。
 一騎は意識が戻ったことに安堵し、そっと息を吐いた。

「…………ねむ………ぃ………………んだ…………」

 弱弱しい声でそう言ったのを、一騎は聞き落とさなかった。
 少し驚き、耳を傾ける。

「……す…………し、だ………………む………り……………」
?しっかりしろ!」

 虚ろな瞳は何も映し出さず、も無意識に言葉を告げているように見えた。
 此処は灯台のすぐ傍にある浜。
 を受け止めた一騎はコックピットから降り、を浜に下ろした。
 髪の下ろされたを見て、最初はではないのか、と疑いそうになった。
 黒のコートを着ていなければ、多分判断はつかないだろう。
 不意にの手を一騎の頬に触れ、目を細めた。
 この行動に驚くものの、一騎は黙ってそれを見る。

「………………ごめん…………な?」

 の口から出た謝罪の言葉。
 そしての頬に流れた1粒の涙。

「   」

 一騎の目が見開いた。
 滑り落ちた手は浜に落ち、開いていた瞳が閉じられる。
 一騎は身体を揺すった。

!!」
「大丈夫だよ、一騎」

 後方から聞えた声に振り向くと、千鶴と乙姫の姿がそこにあった。

「無理をしすぎたから、身体が付いていかなかっただけ。ゆっくり休めばすぐに元気になるよ」
「君は……?」
「私は乙姫。皆城乙姫だよ、一騎」
「皆城?それじゃ、まさか総士の!?」
「うん。私は総士の妹。よろしくね、一騎」

 小さく笑う乙姫を見て、一騎は少しだけ肩の荷が下りたような気がした。
 乙姫は一騎の横に移動し、の顔を覗き込む。
 そっと頬に触れた乙姫は、僅かに目を細めた。

「暫く起きそうにないね。ねぇ一騎、をアルヴィスに運んでくれない?」
「えっ?あ、でも……」

 マークザインを見上げて、もう1度乙姫に視線を向ける。

「大丈夫だよ。総士、ガーディアン・システムにクロッシングして、遠距離操作で機体をブルクに戻して。遠距離操作のロックは既に解除してあるから」

 未だジークフリード・システムに入っていた総士は、乙姫からのテレパシーを受け、その指示に従った。
 起動していないGにクロッシングをすると、Gのシステムデータが流れ込んできた。
 そこから遠距離操作のシステムにアクセスをし、マークザインと他の機体をゆっくり動かせる。
 動き出したマークザインに驚く一騎は、を抱き上げて少し離れた。

「一騎、こっちだよ」
「えっ?あぁ」

 手招きをする乙姫に近付き、彼女の後を追って行く。

「一騎君」

 少し複雑そうな表情を此方に向ける千鶴。
 一騎は首を傾げたが、あることを思い出して慌てて口を開いた。

「と、遠見は!あの……その、置いて来た…………って言うか、無事ですけど………俺、急いでいて」
「溝口さんも無事なのね?」
「はい。多分、こっちに向ってると思いますけど………………あの、すみません」

 小さく謝る一騎に千鶴は首を振り、背中を押した。

「皆が無事なら、それで良いのよ」

 今は君を休ませましょう。
 そう優しく微笑みながら言う千鶴に、一騎は安堵の表情を浮かべて頷いた。

「千鶴。総士がね、医療班を呼んでるよ。さっきの戦闘で、パイロットがダメージを受けたみたい」
「すぐに行くわ。一騎君、君をメディカル・ルームに運んで頂戴ね?乙姫ちゃんも、後でメディカル・ルームに」
「うん。分かった」

 アルヴィスに向う入り口で、千鶴は一騎達と別れた。
 地下に降りるのを見送ると、左手に握られていた刀に視線をやる。
 が持っていた刀。
 そっと瞳を閉じ、軽く息を吐く。

「遠見先生」
「真壁司令!?」

 アルヴィスの制服に身を包んでいる史彦が、千鶴の少し離れた所から顔を出した。
 近付く史彦に千鶴は困惑な表情を浮かべた。

「一騎達は?」
「えっ?あぁ……君を連れて、メディカル・ルームに向いました」
「そうですか」

 2人の間に風が通り抜ける。

「あの、一騎君のことですけど…………心神喪失による衝動的な行動により島を出たんだと思います。暫くは、心理障害用の保護室で様子を見るべきかと」
「手間を煩わせて、本当に申し訳ない」
「いえ!あの、司令に………1つだけ聞いても良いですか?」
「何か?」
「…………………君のことでちょっと」

 刀を握り締める手が強くなった。
 史彦は暫く千鶴を見て、そっと諦めたかのように溜息を漏らす。

「彼に付いては、ことが落ち着いてからでも構いませんか?今は………パイロット達と島民の手当てを」
「……………分かりました。では、後程メディカル・ルームで」

 軽く頭を下げ、千鶴は史彦の横を通り過ぎる。
 完全に千鶴がいなくなったのを確認し、もう1度深々と溜息を漏らす。
 それから一騎達の後を追い、再びアルヴィスへ向うのだった。





 総士の妹、皆城乙姫と別れてから数分後。
 一騎は疲れている身体でを抱き上げ、メディカル・ルームに向っていた。
 誰とも擦れ違わないのは、恐らく戦闘で町に大きな被害が及んだ為だろう。
 皆、それぞれの出来ることをやっている。
 静かな通路を歩く一騎は、抱き上げているの表情をチラリと見た。
 前に見た、の寝顔にそっくりだ。
 そう考えると、急に顔が熱くなって頭を振る。
 他のことを考えようとすると、浜でが零した言葉が頭に過ぎった。
 最後に発せられた言葉は、人の名前だった。
 知らない人の名前ではない。
 何故がその名前を呼んだのか。
 もう1度顔を見ると、モルドバで急に吐き出した時のような青白い顔をしていた。

―――無理をしすぎたから、身体が付いていかなかっただけ。

 は一体何をしていたのだろう。
 そうこう考えている間にメディカル・ルームに着き、ドアを開けて中に入って行った。
 当然のことながら人はおらず、奥にあるベッドにを寝かせた。
 コートを脱がせようと手にかけた時、別れ際に言った乙姫の言葉を思い出す。

―――そうそう一騎、婿入り前のに手を出しちゃ駄目だよ?今は仕方がないけど、ベッドに寝かせたら服や身体に障っちゃ駄目。分かった?それじゃ、を宜しくね!

 風のように去ってしまった乙姫を止めることも出来ず、暫くその場に立ち尽くしてしまった。

(言葉が、違う気がするのは俺だけか?)

 取り敢えず、乙姫の言うことなので一応聞いておこう。
 そう思い、伸ばしかけた手を引っ込める。
 するとメディカル・ルームのドアが開いたのに気付いた。
 入って来たのは見慣れた人。

「……父さん……」

 相変わらず表情を変えない、実の父親にして此処の司令官。
 一騎が少し困った表情を浮かべると、史彦は持っていた紙袋を一騎に向って投げる。
 それを慌てて受け取ると、何、と言いたそうな表情を向ける。

「早くそれに着替えて付いて来い。お前を、心理障害用の保護室に入れる」

 当然の処置だ。
 そう、自分でも納得した。
 一騎は紙袋を持って空いているベッドのカーテンを引き、無言で着替え始める。
 史彦はそっと息を吐き、横になっているの元まで足を運んだ。
 下ろされた髪が広がり、青白い顔が史彦の胸を縛り付ける。

―――…………………君のことでちょっと。

 何となく、彼が灯台にいることが分かった時から嫌な予感はしていた。
 その予感が的中し、彼は今此処にいる。

「あの、父さん?」

 少し控えめに、一騎が史彦に声をかける。
 アルヴィスの制服に着替えた一騎がカーテンを開け、の傍にいる父を見た。
 それから暫く迷い、意を決して訊ねる。

のこと……なんだけど……………GF………………なんだよな?」
「…………誰から聞いた」
から」

 名前を聞いて内心史彦は驚く。

(本人の口から聞いたのか)

 どうやら、彼らGFは自分の知らない所で色々やっているようだ。
 史彦は内心呆れたが、青白い顔をしているを見て何故、と問う気もない。

「そのこと、他の誰にも話すな」
「えっ?」
「暫くは黙っていろ」
「……分かった」

 そう言うと、一騎の頭に何か温かいものが置かれた。

「父さん?」

 自分より大きな手。
 それが頭の上に乗っている。

「今は、兎に角自分のことを考えろ。行くぞ」

 そう言って背中を見せる史彦。
 一騎は呆然とし立っていたが、我に返って父の後を追った。
 出て行く時、肩越しに振り返ってを見る。
 メディカル・ルームのドアが閉まり、一騎は走って史彦の元に向った。