目の前に続いていた一本の道。
 それを霧で見失い、別の道へと進んで行った。
 それが間違いであるとも気付かずに、見失った道を探すことさえしない。
 ただ、友が見て来た世界を見たくて。
 友のことを理解したくて。
 大切な人を傷付けて、大切な友を裏切って…………俺は、偽りの翼を広げた。










 お互いの唇が離れると、は優しく笑って一騎を抱き締めた。
 一騎は力を抜いてに身を預ける。
 抱き締められたことにより、の体温が一騎に伝わった。
 母親に抱き締められているようで、一騎は無意識に抱き締めた。

「……一騎……大きくなったね」

 ゆっくりと頭を撫でる

「………そう言うこそ……島のアイドルなんかになった」
「別に、アイドルになる為じゃないんだけどね」

 知ってる、と言って抱き締める腕の力を少しだけ強めた。
 力を入れると壊れてしまいそうな身体。
 それでも離すことが出来なかった。

「遠見に聞いた。俺も、の歌に救われたんだ」
「本当?」
「あぁ」
「私の歌、皆の心に残ったかな?」
「残ってるさ、絶対」

 そう言うと、は嬉しそうに微笑んだ。
 生きた証。
 それは、島の人々の心に自分がいた、と言うことを残すこと。

「…………」
「何?」
「……………」
「一騎?」

 顔を覗くと、一騎はの胸に顔を押し付けて更に力を入れた。
 少し苦しそうにするだったが、抵抗はしなかった。

「今日の一騎は甘えん坊だね」
「……の前だけ……な」
「そっか」

 また頭を撫でると、一騎は目を閉じた。
 それから暫くして一騎は眠りに付き、は聞こえてきた寝息に手を止めた。

「………一騎………」

 少しだけ緩んだ力。
 顔を覗けば、悲しそうな表情がそこにあった。

「……ごめんね……」

 一粒の涙が頬を流れた。
 何の涙なのか、よく分からない。
 けれど、この涙は一騎を思ってのモノ。

「ごめん……なさいっ」

 ぎゅっと力強く抱き締める。
 それしか今は出来ない。
 は悔しそうに歯を食いしばった。

「……私はっ」

 あなたを、救えなかった。





 太陽もまだ昇らない時刻、一騎は重い瞼を上げた。
 ぼんやりと辺りを見渡し、自分の隣にいるもう1人の存在に視線をやる。
 耳を澄まさなければ聞えない程小さな寝息で、は一騎の隣で寝ていた。

?」

 涙が流れた跡が、頬に残っていた。
 そっと頬に触れ、優しくその跡を撫でる。

「……俺は……」

 一騎はの頬に軽く口付け、布団から抜け出した。
 静かに、そして一度も振り返らずに部屋から出て行った。
 父である史彦は帰宅していない。
 恐らくアルヴィスで泊まっているのだろう。
 近くにある時計を見て、一騎は物音1つさせず家を出た。
 一騎は走って階段を下りる。
 そして、1人真壁家で眠っているはゆっくりと起き上がった。





 由紀恵はマークエルフとリンドブルムの補給整備のチェックをしていた。
 何時もならアルヴィスの制服を着ているのだが、今日に限って私服のまま。
 由紀恵以外誰もいない今、ポケットの中に入っている携帯の呼び出し音は、ブルク全体に響き渡る。

「何?」
『起こしました?それとも、起きてました?』
「五月蝿いわね、今忙しいのよ」
『それは失礼。でも、後始末をする人に言う言葉じゃないな』
「用件はなんなの。さっさとしなさい」

 多少苛立っている由紀恵は、態度を改めることもせずそのまま話す。
 電話越しに溜息をつかれたので、由紀恵の苛立ちは更に増した。

『今から動くんだろう?迎えがすぐに来ると思うなよ』
「ちゃんと連絡は入れてるんでしょうね」
『あぁ、入れた。だが、来るかも分からないような人の為に、あいつらがすぐに動くとは思えないんでね』
「一体何処に連絡したのよ」
『バーンズの所。忠告はしておいた。後は頑張れよ』
「いちいち気に障る奴ね」
『それはどぉも』

 それ以上話すこともなく、相手の方から切った。
 由紀恵は携帯をしまうと、聞えて来た足音に振り返った。
 そこにはシナジティックスーツを着た一騎が立っている。

「よく来たわね。さぁ、行きましょう」

 優しく微笑み、ファフナーに乗るよう言う。
 これで手に入る。
 由紀恵は不敵な笑みを浮かべ、コックピットブロックに乗り込む一騎の後ろ姿を見た。
 太陽は、徐々に昇り始めていた。




◇    ◆    ◇





 部屋の通信機が鳴り、眠っていた1人の男は手を伸ばした。

(たく……何なんだよ)

 眠気を覚ますように首を振り、ボタンを押す。

『連絡が入った。移動する』
「連絡?どっからですか?」
『API1からだ。これで分かるな』
「………りょ〜かい」

 ブツっと通信が切れ、男はくしゃくしゃと頭を掻いた。
 API1からの連絡、と言うことはあの男が帰って来ると言うことだ。
 ベッドから降りて大きく伸びをすると、椅子にかけていた服を着た。

「しっかし、何しに帰ってくるんだかなぁ。手土産ぐらいは持って来いよぉ」
『トリプルシックス、何をしている。我々は待機だ』
「カノンか。へいへい、すぐ行きますよ。たく、人の睡眠時間を返せ」

 トリプルシックスこと、日野道生は扉を開け、外で待っているカノンと言う少女と共にドッグへ向った。

「あいつが帰って来るんだってな。また面倒なことになりそうだ」
「何故そう思う。私は、特に何も思わない」
「そうかぁ?どうせまた扱かれるんだぜ」
「訓練は軍の基本だ」
「いや、あれは訓練と言うよりあいつの憂さ晴らしだ」

 道生は過去のことを思い出し、思わず顔を顰めた。
 最初、ちょっと付き合え、と言われて柔道をやったのだが、それが道生の運のつき。
 思い出しただけでも悪夢に魘される。

「あんな奴がスパイ活動をずっとしていたと思うと、恐ろしすぎる」
「見習うべき人だと思うが?」
「止めろ、あんな奴は見習うに値しない」

 道生にしてみれば、見習いたいと思う人には入らない。
 と言うか、入れたくないのだ。

「はぁ、平和な時間が終わったな」
「?」

 道生が何を言っているのか理解出来ず、カノンは首を傾げた。
 道生は道生で、深々と溜息をつく。
 彼にとっての平和な時間は、API1―――竜宮島から来る1人の人間によって破壊されようとしていた。





 学校に行く前、真矢は朝一のロッククライミングを楽しんでいた。
 ひとり山の崖を登り、朝の空気を吸う。
 すると、真矢の上空で見慣れたモノが飛び去って行った。

「一騎君?」

 真壁一騎が乗るマークエルフが、リンドブルムと共に島から飛び去って行く。

「どうした!?」

 アルヴィスに響き渡る音を聞きつけ、史彦は慌ててCDCに来た。
 そこには私服の総士が立っており、モニターには飛び去るマークエルフが映っている。

「マークエルフですよ」
「何!?発進命令、君が出したのか?」
「まさか………出す訳ありません……」
「何だと!?」

 総士が嘘を付くような人ではないと、史彦はよく知っている。
 だから尚のこと、一騎の行動に驚いた。

「…………何処へ行くつもりなんだ…………」

 徐々に遠ざかって行くマークエルフ。
 だが総士は取り乱すこともなく、ジークフリード・システムでリンドブルムのコントロールを奪おうともしなかった。
 何故なら総士は、それをする理由がなかったからだ。

「…………島から出て行く者に、興味はありませんよ…………」

 出て行くのなら、勝手に出て行けば良い。
 過去に何人か島を出た者がいる。
 彼らは皆、帰ることなどなかった。
 何が理由で出て行くのか、総士は聞く気も考える気もない。
 逃げ出したいのなら、逃げれば良い。
 この島から出たとしても、この島以外は全て地獄。
 島を出て行くなら、その地獄で生きれば良い。
 生きられるならば。

「上出来だわ。真壁一騎君」

 離れて行くリンドブルムとマークエルフ。
 由紀恵はリンドブルムに乗ってマークエルフに通信を繋いだ。
 その声は実に嬉しそうだ。

「何処へ向かうんですか………先生………」
「新しい…………楽園よ…………」

 由紀恵にとっての、本当の意味での楽園。
 一騎はそこに向おうとしていた。





 真壁一騎が何処へ行くのか、今この時点で分かっている者は2人いる。
 その1人が一騎と共にいる由紀恵。
 そしてもう1人は、由紀恵に電話をかけた張本人。
 その人物は今、灯台の上にいる。

「上手く、逃げ出したみたいだな」

 去って行く2人を見送り、ヴェルシールドを越えたことを確認した。
 第1、第2ヴェルシールドの両方を越えれば、まず追っては来ないだろう。
 今、ファフナーに乗れるのは要咲良のみだ。

「ゲームの………始まりだ」

 黒のサングラスを掛け直し、ポケットに手を入れ、そのまま灯台の上から飛び降りた。
 島の住人が見たら驚きの声を上げるだろうが、この時間帯に人は通らない。
 音をさせずに着地し、軽い足取りで灯台から去って行った。





 お互いが居ない場所で。
 どうすれば分かり合えるのか…………答えを探していた。
 ……理解出来ないことを……言い訳にはしたくなかった。
 ……そして…………僕らはまた1つ………何かを失った……………。