狂い始めた時間。
 迫り来る影。
 蝕む心。
 離れて行くのは、人か、それとも心か―――。










 総士とが休んだ。
 勿論、甲洋だって休みだった。
 あの時、自分が行っていれば甲洋が危険な目に合わずに済んだ。
 いや、自分がちゃんと敵を引き付けられなかったのも問題だ。
 総士が戻ってくれと頼んだから、それに従った。
 総士に従うことしか、自分には出来なかったから。
 けれど、甲洋は危険な目に合いながら人を助けた。
 自分は、甲洋すら助けられなかった。

―――珍しいね、一騎がゴールに失敗するなんて。もしかして、悩みことか考えこと?そう言う時って、入らないんだよね。

 あぁ、そうだな。
 昔、が言ったように、今の俺は考えことをしているから入らないんだ。
 バスケットボールが、床の上に転がる。
 すると、それが別の人の手によって拾われた。

「ねぇ、一緒に春日井君のお見舞いに行かない?」
「………俺はいい………」
「どうして?春日井君が怪我したことに、責任を感じてるの?」

 痛いところを突かれた。

「だったら、尚更会いに行くべきだよ」

 バスケットゴールに、真矢はストレートで入れた。

「ね!行こうよ!!」

 一騎の手を取って、真矢は体育館を出て行く。

「おい!ちょっと!!離せよ!!」
「行くの!!」

 無理矢理だとは思ったけど、1人で行くより皆一緒に行った方が行き易いと、真矢なりの気遣いで行動に出たつもりだ。
 それが後に、取り返しのつかない溝を生むことになるとは、この時の真矢には予想もしていなかった。





「うわぁぁあぁぁ―――っ!!!」

 地下に行くエレベーターの中で、衛の叫びが響いた。

「何だ?犬苦手だったのか?」

 一騎の腕の中ですっぽり収まるショコラ。
 多くの時間を共有して来たつもりだったが、衛が犬を苦手としていたことには驚いた。

「どうして犬までいるのよ……」
「良いわよね、お姉ちゃん。可愛いんだし」

 エレベーターに乗ってから、弓子の表情は暗い。
 返事をしない姉に違和感を抱きながら、医療ブロックを通り越してしまったことに目を丸めた。

「あれ?医療ブロックじゃないの?」
「もうすぐよ」

 今まで聞いたこともない低く、哀しい声。
 短いこの言葉に含まれている意味を知ったのは、隔離されたある1室に連れて来られた時だった。

「嘘…………だろ?」

 目の前に広がる光景が、まるで夢の中にように思える。
 これは夢なんだ。
 悪い夢を見ているだけなんだ。
 そう、剣司は思った。
 けれど、現実はそれ程甘くはなかった。

「残念だけど、現実よ」

 弓子の言葉に、誰もが言葉を失った。

「何で、甲洋なの!?何で甲洋だけがこんなことになったのよ!!」

 今までの同化とは違う。
 消えるのではなく、確かに此処に存在する。
 だが、カプセルに入っている甲洋は目をしっかりと開け、彫刻のように固まっている。

「彼は戦闘時、中枢神経だけ同化されたのよ」
「……同化?」
「奴らの戦争のやり方よ。私達の全てを奪うの」

 友達を、家族を、家を、幸せを、そして平和さえも奪う。
 甲洋は、その1つになった。

「あたしが悪かったから…………あたしがあの時、もっと早くコックピット・ブロックを外していれば……」
「それは………」
「……あたしのせいだ………春日井君、あたし達を助ける為に…………」

 それぞれが自分を責める。
 そんな中を、一騎は否定した。

「皆のせいじゃない………絶対、皆のせいなんかじゃ………」
「これが甲洋の、自分で招いた結果だ」

 何の前触れもなく、学校を休んだ総士が現れた。
 入って来た第一声が、とても棘のある言葉。

「おかげで……ファフナーを失った。干渉に浸る暇はない」

 言い終わるなり、乾いた音が部屋に響いた。
 次に聞こえたのは真矢の声。

「何でそんなこと言うの!?」

 皆の目の前で、真矢が総士を引っ叩いた。
 勿論、此処で総士が殴り返したり、睨んだりすることはない。
 こうなるように仕向けたのは………自分なのだから。

「最期に春日井君と話せたの……………あなただけなんだよ…………何も感じないの?」

 涙目の真矢。
 それを見ようとしない総士。
 重い空気を破ったのは、ドアが開いたと同時に入って来た

「総士、何でお前が此処………」

 持っていた書類に目を通していたから気付かなかったのだろう。
 部屋には、総士以外の人間もいた。
 顔を逸らしている総士。
 その前に立つ真矢。
 カプセルを囲むようにいる剣司、衛、咲良、そして一騎。
 一瞬でことを悟ったは、総士の肩に手を置く。

「このディスクに目を通しておいてくれ。それと、遠見先生が探していた。早く行った方が良いだろう」
「………分かった」

 の手からディスクを取ると、総士は何も言わず部屋を出て行った。
 総士が出て行っても、この場の空気が変わった訳ではない。
 はそっと息をつき、片手を腰に当てた。

「何があったのか聞くつもりはないが………総士に手を上げたのは遠見だな?」
「だったら何よ。皆城君がわる………っ!?」

 最後まで言い終わらないうちに、真矢は言葉を失った。
 乾いた音が聞こえたようにも思えたが、真矢の耳にそれがはっきりと残っている訳ではない。
 唯、頬に痺れるような痛みが走る。
 一騎達が息を飲んだのが分かった。

「俺は総士やのように優しくはないからな」

 何時もより少し低く、冷たい感じを思わせるの言葉。
 真矢はやっとが自分を引っ叩いたのだと理解した。

「指揮官であり、上司である総士を殴るなんて……良い身分だな」
「や、止めな!悪いのはあいつだ!!甲洋がこんなになって……あいつは何もっ」

 咲良の声で我に返った衛と剣司は、真矢を殴ったを睨む。
 しかし、はそれを軽く流した。

「春日井がこうなってしまったのは………総士1人の責任なのか?要」
「そ、それは……」
「今回のことで悪い奴がいるのか?」

 押し黙る咲良達に、は溜息をついた。
 春日井甲洋がこうなってしまったのは、誰の責任でもない。
 そう言おうとした時、黙っていた真矢が口を開いた。

「………いる……じゃない………」
「え?」

 一騎が、微かに聞こえた真矢の声に顔を上げる。
 真矢はを睨み、強い口調で言った。

「あの時!ガーディアン・システムにが搭乗していれば、春日井君を助けることが出来たでしょう!?」
「「「「!?」」」」

 全員が息を飲み、は目を見張った。

「……な………に……?」
「……と、遠見」
「だってそうじゃない!あれはファフナーと一体化するんでしょう?だったら、春日井君を守れたんじゃないの!?」

 確かに、システムに入っていれば防げたかもしれないが、脱出ポットを持ったまま戦うことが出来たとは思えない。

「何でが搭乗してなかったのよ!何で………春日井君がこんな目に………」

 システムに搭乗していれば防げただろうか。
 いや、違う。
 一体化はしていた。
 だからは……危険を冒してでも守ろうとした。
 それを知る者は………この場にいない。

「言いたいことはそれだけか………遠見」

 周りの空気が一瞬にして凍り付くのを、肌で感じられた。
 明らかに下がった声。
 の怒りが、一気に上昇したことが分かった。
 冷たく鋭い瞳。
 辺りを絶対零度にまでしてしまうオーラ。
 誰もが初めて見た、の怒り。

「ふざけるなよ。のことを何も知らないお前が、もう一度その言葉を言ってみろ。俺は一生許さない」

 一騎は息を飲み込んだ。
 怖い。
 恐らく、の目の前にいる真矢の方が何倍も恐怖を感じているだろう。

「何も知ろうとしないお前達に、2人を責める権利はない。此処は、関係者以外立ち入り禁止区域だ。二度と近付くな、出て行け」

 絶対零度のオーラは消えず、カプセルの隣にあるコントロールパネルに近づいたは、指で幾つかのボタンを押した。
 それ以降、は一言も喋らず己の仕事に集中していた。

「……遠見……行こう。剣司達も………」
「お、おぅ」

 静かに出て行く5人。
 完全に気配がなくなり、は左手を握り締めて壁を殴った。

「……くそっ……」

 何も知らない子供。
 何も知ろうとしない子供。
 何も教えない子供。
 何も教えようとしない子供。
 2人と5人の間にある高くて分厚い壁。
 それが破壊されることはないだろう。
 はカプセルの方に振り返り、同化されてしまった甲洋を見下ろす。

「………お前も……達とは違う苦しみを味わった1人………だったな………」

 彼の両親は子供を愛していない。
 愛情を、甲洋は貰ったことがない。

「責められるべき………この俺だと言うのに……………すまない、春日井………すまない」

 歯を食いしばる
 彼は里子。
 アルベリヒド機関から授かった、竜宮島にいる為の道具。

「次の里子は何時届くんだ!?」
「新規の受け渡しは認められません」
「どうして?甲洋はもう死んだんでしょう!?」
「ですから、春日井甲洋は半同化による昏睡状態ですが、存命だと判断されました。この場合、新しい里子は受けられない規約になっています」

 冷静に、次の里子を要求する2人に説明をする女性。

「じゃあ、俺達はずっとハズレを育てたと言うレッテルを貼られたまま、この島で生きていくのか!?」
「そんなの嫌よ!!」

 2人の頭にあるのは、次の里子を受け取り、優秀なパイロットとして育てること。
 それ以外のことは考えられない。

「評価の問題ではありません。まだ息子さんは生きているんですよ」

 女性は静かにそう告げた。
 いくら頼んでも里子を渡さないと言われ、2人は絶望の淵に立たされた気分になった。
 だが、彼らの頭の回転は速く、あることに気付いた。
 半同化による昏睡状態で死んではいないと言うのなら、この手で人知れず殺せば良い。
 闇に包まれた部屋のドアを開け、電気も点けずに中へ入った。
 コントロールパネルに触れて捜査すると、最後のボタンを押す指が震えた。
 戸惑いが、確かにあった。

「何をしているんですか!!」

 その戸惑いのせいで、千鶴に見付かった2人。
 言い逃れも出来ず、後から駆け付けたと共に小会議室へ向った。
 そこには既に、アルヴィスの代表者である史彦がいた。

「何故、息子を殺そうとしたのか………まずは理由を述べて下さい」

 史彦の後ろに立って、は2人に問いかけた。

「あいつのおかげで、俺達の評価も下がるんだぞ!?新しい子供に期待するのは当然だろ!!」
「羽佐間さんのように……レベルの格下げはごめんだわ……」

 はずれ、評価、格下げ。
 どれも子供には相応しくない言葉。

「羽佐間先生の業績は、アルベリヒドも評価しています。ですが……あなた方は……」
「子供の育て方自体、最初から問題が多いんです。それに、育てた子供を道具にしか思っていないようなあなた達を、アルベリヒドが評価する筈もない」

 呆れた風には言った。
 諦めれば良いのに、と思うが彼らには諦めと言う言葉がないらしい。

「頼む!アルベリヒドにお前から申請してくれ!!次こそは優秀なパイロットを育ててみせる!な!!」

 史彦は、隠しきれない怒りを込めて書類を投げ飛ばした。
 何十枚もの書類が床に散らばり、1枚の紙に目を奪われた。

「お前達が新国連に情報を流していたことは分かっている。優秀なパイロットを1名育ててくれたことを感謝する。だが……」

 胸倉を掴み、史彦は怒りの言葉を吐いた。

「お前達に人の親になる資格はない!島から出て行ってもらう!!」

 嘗ては偽りでも平和だった唯一の島。
 そこから出て行くと言うことは、命の危険性が増すと言うことだ。
 顔が引き攣り、今度こそ絶望の渦に巻き込まれた2人。

「もっと早く気付くべきだった」

 悔やんでも悔やみきれない、島の……史彦の失敗。
 それら全てのやり取りを見ていた千鶴も、複雑な気分で春日井夫婦を見ていた。
 よりにもよって、2人が新国連に情報を流していたとは。
 そのことに気付けなかったのは、何も史彦1人の責任ではない。




                     ◇    ◆    ◇




 朝、真矢は自転車で道を進んでいた。
 昨日のことが頭に残り、気分は沈んでいる。
 それを紛らわす為自転車を漕いでいたのだが、友達の家の前で止まった。
 楽園と言う喫茶店をやっている春日井甲洋の家の筈なのだが、何時もと雰囲気が違う。
 すると中から1人の見慣れた男性が出て来て、何故か箒と塵取を持っていた。

「よぉ、真矢ちゃん」
「……溝口さん………この店………」
「今日から、客からマスターに昇格しちゃったよ」

 笑いながら言う溝口に、真矢は首を傾げた。





 千鶴は買い物に出ていた。

「春日井さんち、ご夫婦で退島したそうよ」

 ピクッと動きが止まった。

「いくらファフナーの責任を取るからって、出て行くこともないのにね」
「この戦時下で、何処に住むつもりなのかしら」

 春日井夫婦が新国連と関係のあることは、史彦、千鶴、、総士、恭介の5人だけしかしらない。
 他の人々には、ファフナーの責任を取る為退島した、と説明してある。
 真実は、5人の胸の内に秘められることとなり、今後一切口に出さなくなった。





 学校に行く前、由紀恵は海に発信機付きのカプセルを投げた。
 これは定期的に新国連へ連絡を入れる為の手段であり、月に一度は必ず行っている。

「そんな質問に答えてどうなる」
「どうしても聞いておきたいんだ」

 耳に入った、生徒の声。
 前者が皆城総士で、後者が真壁一騎であるとすぐに分かった由紀恵は、壁に張り付いて2人の会話に聞き耳を立てた。

「ファフナーと俺達……お前にとってどっちが大切なんだ?」

 潮風が、2人の頬を優しく撫でる。
 海を見詰める総士。
 総士の後姿を見詰める一騎。

「………どんな返事を期待しているんだ」

 どんな返事を返すべきなのか………正直総士は分からない。
 ファフナーとパイロット。
 どちらが大切かと言われれば、すぐに返ってくるだろう当然の返事。
 けれど総士は、それを選ぶことが出来ない。
 選ぶことを、世界は、竜宮島は、恐らく許さない。

「        」

 波が、堤防にぶつかった。
 総士の言葉を聞いた一騎は、目を見張った。
 今まで、総士に疑問をぶつけて来たことがない。
 それが許されないと、ずっと思っていたから。
 けど今回だけは、何があっても聞く必要があった。
 あったから聞いた。
 総士の答えは、2人の間にある溝をさらに深めるカマとなった。





 更衣室で途中まで着替え、真矢は慌ててCDCへ向った。
 俗に言う遅刻だ。

「遅いわよ。交代時間は守ってよね!!」

 何時になく不機嫌な姉。

「……すいません」
「減点ですよ、先輩」

 今までCDCでは聞けなかった明るい声。
 真矢は声のする方に顔を向けると、見慣れた少女がそこにいた。

「あなた!?」
「宜しくです、先輩」

 靴箱であった、西尾里奈。
 真矢は本気で驚いたらしく、目を丸くした。





 失ってはならないモノがあった。
 それを守る為なら…………目の前にある小さなモノなど、幾らでも捨てられた。
 ………そのせいで、結局は全てを失うことになると解らず……。
 小さな自分を………守り続けていた。