島の子供が知る真実は、ほんの極一部でしかない。
全てを知る子供は、たった2人。
いや、3人と………言っておくべきか。
全てを知る者にとって、それが何を意味するのか。
結局は誰も、理解してくれないのだろう。
2人が負った苦しみと悲しみ。
3人が背負った、島の未来を。
太陽が昇り、朝を迎えた竜宮島。
まだ日が昇らぬ時から活動し始めたは、CDCで今日の仕事内容を確認し、そのままエレベーターで最深部に向かった。
何かをする訳ではなく、唯呆然とワルキューレの岩戸の中にいる少女を見詰める。
ある程度の時間が過ぎれば、そのまま部屋を出て仕事に取り掛かる。
それがの日課だ。
此処暫くはサボっていたが。
は少女に向かって言葉をかけようとはしない。
話す必要がないと判断しているからだ。
また、話したところで彼女には全て筒抜け。
自分の口から報告することは、何もない。
「…………何?」
頭の中に、流れ込んで来た少女の声。
これは自分の中にいるではない。
「………分かった。近いうちに……な」
ワルキューレの岩戸にいる少女からのテレパシー。
は彼女―――皆城乙姫の願いを聞き入れた。
ピアノを弾いて、とお願いをしてきたのだ。
そう言えば最近、ピアノを弾いていない。
乙姫に背を向け、部屋を出て行くの足が急に止まり、振り返った。
「大丈夫。なら、すぐ元気になるさ」
乙姫はにの様子を聞いて来た。
だからは、乙姫を安心させる為に小さく笑いながら答えた。
「俺が心配しているのは、乙姫の兄の方だ」
苦笑いをしながらそう言って、再び動き出してドアの向こう側に消えた。
岩戸の中の乙姫は、閉まったドアを見詰めるように薄っすらと目を開けた。
システム連結者は、ファフナーを強化・保護・サポートをするしか出来ない。
共に戦い、守ることが出来ないのがシステム。
しかし、それがなければファフナーの能力を100%発揮出来ない。
そして、それがシステム連結者である者達を苦しめている。
それを知る者はいない。
食堂に足を運んで2人分の朝食を受け取ると、はそのままアルヴィスの総士が使っている部屋に向かった。
総士の部屋の隣はが使用し、その隣にが利用している。
持ち物は少なく、によく殺風景だ、と言われているが総士よりましでは、と思う自分がいる。
パスワードを打ち込み、無断で総士の部屋に入る。
「総士、朝」
照明を少し暗い設定で点けた。
いきなり明るくすると、総士の目に負担がかかるからだ。
トレーをテーブルに置き、ベッドで寝る総士に近寄る。
「お前………またアルヴィスの制服のままで寝ていたのか……」
「……………か」
「低血圧め、早く起きろ」
「……………あぁ」
前髪をかき上げ、天井を見詰める総士に気付いたは、ベッドに腰掛けて頭を撫ぜた。
「昨日は良く眠れた……って訳でもなさそうだな」
返答がなかったので、はそれが肯定であると悟った。
「影響はすぐに現われる。あまり、無理はするなよ」
「…………あぁ」
「総士に何かあったら、にどやされる」
冗談っぽく、小さく笑いながらは言った。
自分とにだけ見せる、の笑顔。
とても優しくて、暖かい。
「………………は?」
「今はまだ、眠っている。昨日の衝撃が大きかったんだ。もう少しかかる」
「……………そうか」
総士は目を瞑り、肺の中の空気を全て出して新しい空気を入れた。
「今日、学校も仕事も休むんだ。一日ぐらい休んでも誰も怒らないさ」
「……ありがとう……………」
「朝食にしよう。それからもう一度休めば良い」
浅く頷く総士。
ゆっくり起き上がると、2人は静かに朝食をとった。
真矢は学校に行く前、羽佐間家を訪ねた。
「お早う御座います」
「良く無事で……真矢ちゃん………ほんとに良かった……」
翔子を亡くしてからそれ程時間は経っていない。
そのせいか、容子は真矢のことを心配していた。
「あの、此処にいるって聞いたんですけど」
一瞬何を言っているのか理解出来なかったが、すぐにあの犬のことだと分かった。
「えぇ、おかげで毎日賑やかよ」
猫のクーと犬のショコラ。
翔子がいなくなり、家が広く感じる容子にとって、ショコラが来たことは非常に嬉しかった。
静か過ぎる家に、賑やかにしてくれる可愛い犬が来たのだから。
しかし、彼女達はまだ知らなかった。
地上は明るい光を受けているのに、地下では暗い闇に覆われていることを。
「こう言うケースは………なんと申し上げたらいいのか………」
春日井夫婦を呼び、カプセルに入った甲洋と対面させた。
「もう終わったことです………何と言われたところで………」
「役にも立てず、この有様か……ハズレが、大ハズレだったと言うことだ」
子供に当たり、ハズレはない。
何故そのようなことを言うのか。
千鶴は2人を睨んだ。
由紀恵は坂を下りていた。
昨日のことがあってから、春日井甲洋がどうなったのか、一部の大人には朝伝わった。
ふと顔を上げると、前から恭介が欠伸をしながら歩いて来る。
2人は声をかけることなく通り過ぎ、終る筈だった。
「先生……あの島で、お宝は見付かったかい?」
挑発するような、恭介の声に由紀恵は足を止めた。
「……俺……見付けちゃった」
弾けんばかりに振り向き、去って行く恭介の背中を睨み付けた。
宝物と言うのは、あの島のデータ。
手に入れ、新国連に渡す筈だった物。
それを不覚にも、恭介の手に渡った。
島ごと消えたと思っていたのに……。
恭介が朝から向かったのは史彦の家だった。
「お〜い、真壁。入るぞ」
「溝口さん」
外では絶対に聞けないだろうと思っていた声が耳に入り、恭介は目を丸くした。
史彦の傍で立っている1人の子供。
「………珍しいなぁ………お前が外の世界に任務外で出るなんて………今日は雨か?」
「降水確率は5%でしたよ、今日」
「なら地震か?」
「確率的には低いかと」
話を合わせるに、恭介は笑った。
「お前、ほんと今日はどうした」
「今日一日、総士を休ませたいと思いまして、司令にお願いを」
「何だ、総士の奴どうかしたのか」
「いえ……まぁ、昨日のことがあるので……」
恭介は、ジークフリード・システムに入るとどうなるか知っている。
だからは普通に話すのだが、何も知らない大人、子供には話せない総士の身体。
「……大丈夫なのか、総士の奴は……」
「今回は同化だったので、かなり負担がかかったかと。それに、今までの同化とは違う」
「総士君の身体に異変は?」
「今のところは。ですが、薬を調合する必要があるかもしれません」
「……そうか」
朝から暗くて重い話になってしまった。
は話題を変えようと、恭介に声をかける。
「それで、溝口さんはどうしました?」
「あぁ、ちょっとな」
史彦の隣に座り、置いてあった椀を持ち上げた。
「珍しいな、お前が家まで来るとは」
視線を向けず、手を休めることなく言った。
そんな史彦に、恭介は椀にディスクを入れて置く。
「例の宝物か」
「宝物?」
「あぁ。狩谷先生直属の部隊が持ってた」
は目を細めた。
椀の中に入っているディスクは、恐らく昨日の島から持ち出したデータだろう。
別働隊が手に入れる筈だった物だ。
「新国連に渡す気だったんだろう」
「………あの人………すっかり新国連のスパイをやっているんですね」
「違いねぇ。どぉする気だ?ぶっちゃけた話し、島にどれくらい入り込んでいると思う?まとめて狩ったらどうだ」
「相手は人間だ。慎重に対処したい」
「そんなこと言っちゃって……。いくら泳がせてたからって、公蔵だったら即ばっさりだぞ」
つまり、処分していたと言うことだ。
島の情報を、あの新国連に渡していたのだから。
「俺は人間と戦う気はない」
「分かってるよ。だから俺がいる。お前に危険が及ぶようなら、俺がそいつらを狩る。良いな、真壁」
返事を聞くことなく恭介は出て行き、史彦は歪んだ粘土を見ていた。
「ディスク、どうしますか?」
「………すまないが、調べておいてくれ………」
「………分かりました………後、春日井甲洋と彼らのことは……」
「甲洋君のことは、遠見先生と君に任せる。彼らのことは、此方で対応しおう」
「……了解……」
ディスクを取り、ポケットの中に入れて出て行く。
「君」
「はい?」
振り返ると、史彦は相変わらず歪んだ粘土を見ていた。
「………君は………大丈夫なのか?」
外の世界に出たがらないが、態々此処まで来た。
ではなく、が。
それがどう言う意味なのか、史彦は知っている。
「中核神経だけを同化した、今までとは違うやり方に負担がかかったと思います。早くて明日には復帰出来るかと」
「………そうか………君にも総士君にも、辛い思いばかりをさせている」
「……でも、本当に辛いのはこれからでしょう……総士もも……これからがもっと辛い」
「………君も………」
は苦笑いを浮かべて、軽く頭を下げてから家を出た。
今はまだましな方だ。
これから先、もっと辛いことが待っている。
ファフナーを2機失い、島の情報が新国連に洩れている。
「狩るべきか、狩らざるべきか。全てを決めるのは、司令のみ……だな」
そっと息を付いて階段を上り、気は進まないが中学校に向かった。
世の中には電話と言う物があるにも拘らず、何故か今はそれを使おうと思わない。
今日は非番で、特に急いで何かをする必要もない。
急な坂を昇り、校門を潜った。
学校はまだ、朝のHRにすら入っていなかった。
その後、大勢の生徒に見られながら教室に向かい、剣司、衛、咲良に捕まった。
3人の第一声が、
「「「雪でも降る?」」」
だったことには正直呆れた。
「どぉしたんだよ、が学校に来るなんて」
「確か、外には滅多に出ないんでしょう?何か用事?」
「あぁ……総士とが今日欠席するから……それを伝えに」
「あんた……そんなこと言いに態々出てきた訳?」
「他にも用事はあったがもう終えて来た」
やはり来るのではなかった、と後悔するは溜息を付いた。
「あっ、でもは何で?病気か何かか?それだったら困るんだけど」
「え?あぁ……病気ではないが……何かあるのか?」
「聞いてないの?明日の放課後、運動場にステージを設けて歌って貰うことになってるんだよ」
「あっ」
忘れていた。
生徒会役員の集まりで、何か催しことをしようと話し合いがあった。
それに、CDを出したのライブをすることに決定されたのだった。
したのではなく、されたのだ。
(頭の端にすらなかったな、このこと)
本人も、きっと忘れているだろう。
学校のチャイムが鳴り、3人は走って教室に向かって行った。
その後姿を見送り、は来た道を帰って行く。
アルヴィスに戻って、名も知らぬ島で手に入れたデータを解析しなければならない。
非番と言っても、やらなければならない仕事は山積み。
にもにも、ゆっくり1日を過ごすことなど出来ないのだ。
そして、それは今に始まったことではない。
もう何年も前からそうであったように、忙しさが倍となり、休む暇さえもなくなる日が来るかもしれない。
はふと、そんなことを思った。
校門を出て道を歩いている時に見上げた空は、本物と比べることの出来ない偽りの空だった。
放課後、任務で抜けてしまった授業のプリントを、衛と剣司はやっていた。
「全く!任務させるなら居残りなんかさせるなよ!!」
パイロット候補だとしても、子供は子供。
授業が抜けると、放課後に居残りをさせられる。
「今朝来て思ったんだけど、教室ってこんなに広かったっけ?」
2人の見張り役として残った咲良は、教卓に乗りながら教室を見渡した。
「生徒の数が減ったからじゃないの?任務と負傷者で皆休みだったし……」
死者が出た……とは聞かされていないが、もしかしたら誰か失っているかもしれない。
負傷者ばかりならいいものの、もし違っていたらそれは悲しい。
「なら学級閉鎖にしろっつーの!あ〜、わっかんねー!!」
クラスの大半が休めば学級閉鎖になるが、負傷者ばかりが休んでいる場合はそうはならない。
病気でなければ、学級閉鎖になる訳がないのだ。
「ねぇ、甲洋のこと、何か聞いてる?」
「怪我はない……って話だろ?のんびり寝てるんじゃないの?」
本当にそうなら良いが、この目で見なければ納得いかない。
咲良は教卓から飛び降りると、2人のプリントを取り上げた。
「………ちょっと、用事頼まれてくれない?」
珍しく、咲良が2人にお願いをした。
今日は珍しいことだらけだ、と2人は顔を見合わせて思った。
真矢は靴箱にいた。
「遠見先輩」
自分のことを先輩、と呼ぶのだからすぐに後輩であることは分かった。
元々子供の数が少ない竜宮島なので、全校生徒の名前と顔ぐらいは大体一致する。
「西尾さん?」
「今日は、地下へ行くんですか?」
地下、と言われて出てくるのはアルヴィスと言う単語。
「家へ……帰るけど」
「そうですか。それじゃあ、今度宜しくお願いします!」
「へ?何のこと?」
「聞いてませんか?」
何を、と聞き返そうとした時、学校のチャイムが鳴った。
「すいません。今日は早く戻れって言われてるんです。それじゃあ」
静かに現われ、風のように去っていった里奈。
真矢はそんな彼女の後姿を見送りながら、
「それじゃあ」
と聞こえないだろうが、一応返事だけはしておいた。
「いたいた!遠見!!」
今度は何だ、と後ろを振り返る。
そこには剣司と衛が息を切らせて立っていた。
「ほんっとに良かった………居てくれて………」
一体何なんだろう。
真矢は内心、そう思った。
連れて来られたのは運動場だった。
呼び出したのは咲良らしい。
「あたしに何か用?」
咲良の後ろで、必死になって謝る2人がいる。
恐らく、気を悪くしないで最後まで聞いてくれ、と言っているのだろう。
「甲洋のことはあたしにも責任がある訳だし………」
「責任?」
「あたしが人に頼みことするなんて、ガラじゃいんだけど……」
誰よりも強く、柔道で負けたのは一騎ぐらいなものだろう。
気も強い咲良のことだ。
確かに頼みことをするのはガラじゃない。
「それで?」
「お前の母さんに頼んで………甲洋に、会わせて欲しいんだ………」
「いいよ。頼んでみる」
意外とあっさり言われたので、咲良は反応が一拍遅れた。
「あたしも気になってたんだ。お姉ちゃんに聞いてみる」
真矢は3人の前から走り去り、急いで保健室にいる弓子の元に向かった。
保健室の扉を開け、中にいる姉に話しかける。
「お姉ちゃん。皆で春日井君のお見舞い、行って良い?」
幼馴染である由紀恵と話していた弓子は、真矢の突然な申し入れに顔を見合わせた。
春日井甲洋のことは、もう既に多くの大人が知っている。
子供で知る者は、彼らの中では3人だけだ。
「何かあったんですか?」
すぐに返答がなく、無言のまま互いを見ていた2人に声をかける。
だが今回はすぐに返答が返って来た。
しかも、司令補佐官の由紀恵から。
「行けば良いわ。勉強になる筈よ」
勉強、と言う単語を聞いて、真矢は首を傾げた。
怪我はしていないと、誰かから聞いた覚えがあった為、今はゆっくり眠っているのだろうと思ったが、勉強とは一体何のことなのか。
問いただすことも出来ず、真矢はドアを閉めてその場から去った。
「………ゆっきぺ………」
由紀恵を批難するように、弓子は呼んだ。
「同化されたらどうなるか………知っておくべきよ」
今までの同化とは違う、全く別の同化。
人間が同化された時、それが一体どんなものなのか……彼らには知る権利がある。
由紀恵はそのチャンスを彼らに与えたに過ぎない。
彼女に、非がある訳ではない。
弓子はそう思い直した。