生きる為に犠牲になるモノ。
それを受け入れられない大人。
異変や大人達に気付かない子供。
既にそれを受け入れている少年少女。
蝕まれて行く先にあるのは、避けられない同化。
大人達は、静かに涙を流す。
先に呼ばれたのは澄美だった。
千鶴にカルテを渡され、それを静かに見る。
重い空気が漂い、誰も声を出さない。
澄美はカルテをテーブルに置いた。
「………こうなることは承知していたわ………でもね……」
膝に置いていた手を握り締め、澄美は堪えられなくなった涙を流す。
「子供をこんな風に戦わせて………自分達だけ生き残るなんて!!」
大人では、ファフナーに乗って戦うことが出来ない。
どれだけ望んでも、それだけは出来ない。
「……そんなの……そんなの、納得出来ません!!」
生きる為に必要な犠牲は、子供達の命。
シナジェティック・コードの形成数値で子供の未来が決まり、生と死が決定される。
「……辛いのは……解ります。でも、だからと言って逃げてしまえば、それこそ終わりです」
は澄美の元に行き膝を付く。
視線を合わせ、出来るだけ優しく言葉を選びながら言った。
「真実を知れば、逃げ出すかもしれません。でも、選ばれた者なら頑張ろうと思う者もいる筈です。泣きたいのならたくさん泣いて下さい。けれど、立ち止まることだけはしないで上げて下さい。子供達の為にも、共に生きる人々の為にも。そして何より、死んでしまった人々や自分自身の為にも。要さんには、やるべきことがまだあるんですから」
安心させるように小さく笑うと、澄美は無言で頷いた。
弓子に視線を送り、澄美を外に誘導するよう伝える。
が立ち上がり、弓子が澄美の肩にそっと手を置く。
重い腰を上げ、澄美は泣きながらメディカルルームを出た。
「………お待たせしました」
外で待って貰っていた春日井夫婦を中に入れ、焦らすことなく甲洋のカルテを渡す。
「やはり彼にも、染色体に変化が見られました」
一通りカルテを見た2人だが、反応が返って来ない。
弓子は眉を顰めた。
「なんとも思わないんですか?」
「……別に……ねぇ?」
立っている正浩に視線を向ける。
2人共、甲洋の体内で起こった異変に対して、特に何とも思っていないようだ。
「うちは、アルベリヒド出身だからね。これでもう仕事は終わりさ。あんたんとこや、要の家とは違うよ」
「そういう言い方って!」
声を荒げて言うが、2人は動じない。
「羽佐間んところと同じで、うちのも体がね。この仕事じゃないと、計画に参加出来なかったんだ」
2人にとって甲洋は、アーカディアン・プロジェクトに参加する為の、言わば道具に過ぎない。
「羽佐間先生はそんな人じゃありません!!」
弓子が即座に否定する。
だが、返って来たのは正浩の本音。
「あそこの娘は当たりだったのさ!敵を一体倒した!家のは………ハズレだな………」
「…………ハズレ…………?」
弓子や千鶴はそれ以上何も言うことが出来ず、春日井夫婦も何も言って来なかった。
が春日井夫婦に退室を促し、アルヴィスの外まで送り届けた。
模擬戦が終了してから3時間後、と交代したは会議室にいた。
「これが、北方350km地点で発見された島です」
モニターに映し出された島を見て、総士が口を開く。
「確かに………似てますね」
「と言うか、アルヴィスと同じだな、こりゃ」
現在、この会議室にいるのは司令の史彦、司令補佐の由紀恵、指揮官の総士と、メカニックチーフの保の計5人。
彼らが見ているのは、無人探索機が捉えた島の映像。
擬装鏡面が疎らに残っているのを見ると、少し前まで起動していたと言うことだろう。
「アーカディアン・プロジェクトで建造された島は、アルヴィスだけではない。だが、他の島の情報は、我々にも一切公開されていないんだ」
「この島が何を守ってたにせよ、誰かが受け継がなきゃならんだろ」
「しかし、この島がアーカディアン・プロジェクトの島だとは……」
「それを確かめる為にも、行ってみる価値はあると思います」
由紀恵の前に座る総士は、視線を史彦に向けた。
最終的な決定は、司令である史彦が下す。
「…………何があったか知る必要がある。調査部隊と共に、ファフナーを出動。人選は総士君に任せる」
「分かりました」
「今回は君、君は調査部隊の一員として現地に行ってくれ」
「現地に、ですか?Gシステムは良いんですか?」
「あぁ…………試さなければならないだろう、今後の為にも」
は史彦の言おうとしていることを察し、浅く頷いた。
それから会議は暫く続き、切りの良いところで解散となった。
それぞれが部屋を出て行くと、史彦はの背中に声をかけた。
「…………無理は、しないようにな」
「はい」
はその場で敬礼をし、部屋を出て行った。
1人残った史彦は背凭れに身体を預け、深々と溜息を漏らした。
調査部隊と医療班の人選をしていた由紀恵は、真矢にも出動するよう言った。
しかも、お使いに行って来い、と言った感じで。
驚いた真矢は、エレベーターに乗る由紀恵の後を追う。
「あの!どうしてあたしが参加するんですか?」
パイロットでもないのに。
自分は、CDCで補佐をやっているに過ぎない筈だ。
「医療班の手が足りなそうよ。あなたも少しは出来るでしょう?」
医者の子供なのだから、それぐらいは出来ると由紀恵は思っていた。
だからこそ、何の疑いもなしに選んだ。
それが間違いであるとは知らずに。
「あの!」
真矢の話も聞かず、由紀恵はさっさと長いエレベーターを降りて行く。
これ以上呼び止めても聞いて貰えないと思った真矢は、小さく溜息を付いた。
真矢の思いも知らず、エレベーターを降りて近くの自動販売機に足を向けた由紀恵は、お金を入れて珈琲を買った。
「現場指揮で行くんだってな。調査部隊とファフナーを導入して」
男の声に、由紀恵は驚かなかった。
声は、通路の角から聞こえる。
「……あんた、一体何処から聞いてたのよ」
「さぁ。でも、盗聴は専門範囲内だけど?それで、別働隊を出すのか?」
紙コップに珈琲が入り、出来上がったことを知らせる音が鳴った。
扉を開け、紙コップを取る。
「当然よ。調査隊が見付ける前に奪う」
「だろうね。まぁお好きにどうぞ。俺は俺で動く」
「勝手になさい」
声のする方とは反対の道に去って行く由紀恵。
一度足を止めて振り返って見るが、長い通路には誰もいなかった。
酷い雨の中、犬が吠えていた。
「止めてよ父さん!」
「この野良犬が!!」
「父さん!!」
必死で止めようとしている甲洋。
秘密で飼っていた犬が見付かり、正浩に暴力を振るわれていた。
「ショコラ!止めてよ父さん!!」
「家には犬になんか食わせる飯はないぞ!!」
「俺の食事を分けるから!飼わせてよ!!」
一瞬言葉に詰まった正浩は、吐き捨てるように言った。
「もう余計なことはするな!お前はパイロットだけやってれば良いんだ!!さっさと捨てて来い!!!」
滅多に怒ることがなかった父。
まるで人が変わったかのように怒鳴り、冷たい言葉を言う。
何故こんなにも変わってしまったのか。
甲洋はその理由さえも分からない。
足下で、心配そうに鳴き声を上げるショコラ。
「………ありがとな……ショコラ………」
優しく子供をあやすように撫でた。
それからショコラを連れて雨の中を歩き、西尾商店の屋根の下で雨宿りをしていた。
「春日井君?」
「遠見」
今、アルヴィスから帰って来たのだろう。
真矢は甲洋の足下にいる犬を見付け、声を上げた。
「あっ、可愛い。ねぇこの子、名前あるの?」
「え?あ……いや、まだないんだ」
何となく、ショコラの名前が言えなかった。
この名前には、由来があるから。
「あはは、可愛い」
「………遠見は、明日、出動するんだよね?」
「へ?うん……よく分かんないけど、もう決まっちゃったみたい」
理由は聞いたけれど、納得がいかない。
とは言え、無視することも出来ない。
「ん?どうしたの?」
「いや、別に」
そこで会話が途切れ、真矢は自宅に。
甲洋は咲良の家に向かった。
しかし、いくらチャイムをならしても返事はなく、家には人の気配が感じられない。
「……留守か……そうだ、衛の家に行こう!奴ならきっといる筈!!」
期待を胸に、衛の家へ急いだ。
だが、出て来た衛はショコラを見るなり顔色を変えた。
「………ごめん。犬……駄目なんだ………」
「……そっか……」
「……ごめんね……」
そう言うと、衛は逃げるようにドアを閉めた。
甲洋は肩を落とし、次なる場所へ向かう。
「外は雨で、大変だっただろう?」
家の玄関に迎え入れてくれたのは剣司だった。
「まぁな。あっ、実はちょっと、頼みがあるんだけど………」
言ってから、居間に置いてある動物の置物に目が行った。
「あぁ、あれな。研究用の標本だってさ。で、何だ?頼みことって」
「………あっ………いや、別に良いんだ………」
首を傾げる剣司に、甲洋は苦笑いを浮かべて家を出た。
咲良はいない。
真矢には頼めない。
衛は犬が駄目だし、剣司の所に預けたら標本にされそうで怖い。
「どうするショコラ?一緒に、ファフナーに乗るか?」
行く宛もなく、公園の遊具の下で雨宿りをしていた甲洋は、ショコラを見下ろしていた。
「甲洋?」
「あっ」
一番会いたくない一騎に会い、甲洋は視線を逸らす。
一騎は首を傾げ、犬の鳴き声を聞いて少し驚いた。
「そいつ、何か食べたか?」
「えっ?………いや………まだ」
「そっか」
一騎は買って来たコロッケをショコラに上げた。
ショコラはそれを美味しそうに食べる。
「明日のこと、聞いたか?」
「……あぁ」
とても小さな返事だった。
一騎はこれ以上何かを話すことも出来ず、口を閉ざした。
「じゃ」
食べ終えたのを見届けた一騎は、帰宅する為に立ち上がり、甲洋から離れて行く。
「お、お前んち!犬好きか?」
「えっ?昔……父さんが、飼ってたみたいだけど……」
「こいつを…」
「え?」
「い、いや。なんでもない」
「………甲洋、その………風邪引くなよ。2人共」
止めた足を再び動かし、一騎は今度こそ家に帰って行った。
残った甲洋はショコラの頭を撫で、どうするか途方にくれていた。
行く場所もなければ、誰かに貰ってもらう所もない。
行く当てもないなく歩いていた甲洋は、人と擦れ違ったことに気付いていなかった。
「春日井君?」
振り返ると、容子が小さく笑っていた。
「有難う」
何が、と疑問に思ったが尋ねなかった。
その代わり容子は足下にいるショコラに視線を落とし、優しく微笑む。
降り続けていた雨が上がり、雨雲に隠れていた月が顔を出す。
月明かりに照らされた翔子の墓は、元通りに戻っていた。
◇ ◆ ◇
次の日の朝、ファフナーの人選を決めた総士は咲良に島で待機するよう命じた。
「何で一騎と春日井なのよ!あたしは無能ってこと!?」
一騎には確かに力の差を見せ付けられたが、甲洋と自分はほぼ互角な筈。
それなのに島で待機するよう命じられるとは、咲良にしては屈辱と言って良いだろう。
「そんなことは思っていない……唯、マークゼクスのことを忘れたのか?」
咲良が息を飲み、総士は続けて言った。
「あの時、島を防衛出来るファフナーとパイロットが残っていればあんなことにはならなかった。僕は、使えるパイロットは何時も残しておくべきだと考えている」
「……じゃあ、そう言うことにしておくわ」
「助かる。要」
去って行く総士の後姿を見詰めながら、咲良は脳裏に浮かぶ翔子の最後をまた思い出していた。
死ぬのは嫌だが敵は倒したい。
島に敵が来れば、一騎や甲洋がいない中で戦える。
咲良はぐっと手を握り締めた。
バーンツヴェクで移動していた真矢と甲洋は、対面するように椅子に座った。
「あの子、元気?」
あの子、と言われて一瞬分からなかったが、すぐにショコラのことだと分かって口元を緩めた。
「あぁ、元気してる」
容子に会った後、ショコラは羽佐間家に行った。
今は容子が面倒を見てくれている筈だ。
「ありがとな。羽佐間のお墓……綺麗にしてくれたの、遠見だろ?」
「へ?あたしだけじゃないよ………一騎君と皆城君、それにも手伝ってくれたんだ」
雨の中、遅れて墓参りに来た真矢は、性質の悪い悪戯を見て絶句した。
最初は墓前にいた一騎と総士がやったのかと疑いそうになったが、そんなことをする様な人でないことは分かっている。
だから、全く別の人がやったのだと思った。
到着して暫くすると、傘も差さずに掃除用具を持って来たが現われ、無言でペンキを落とし始めた。
一騎と総士もそれを手伝うように道具を持ち、自分も道具を借りてペンキを落とした。
翔子の墓を綺麗にしたのは私だけじゃない。
一騎君や皆城君、も一緒になってやった。
「ん?どうかした?」
視線を落としている甲洋に、真矢は顔を覗き込んで尋ねた。
しかし彼は何の返答もしなかった。
ファフナー2機を積み、調査部隊と医療班を乗せた輸送機は目標の島に向かっていた。
「真矢ちゃんまで借り出されたのかい?大変だねぇ〜」
「あっ、溝口さん。大丈夫ですか?」
酒が入っているだろう水筒に口を付け、中の物を飲む溝口を心配し、真矢は声をかける。
「大丈夫、大丈夫。釣りに行くようなもんだから」
島を調査する為に向かっている筈なのだが、それを釣りに行くようなものと言える彼が素晴らしい。
水筒を隣の調査員に渡すと、背凭れに身を預けた。
「潮の流れが変わりそうな時は、大抵大物が連れるんだ」
「はぁ……」
「素面じゃ釣りは出来ないんだよ」
「はぁ………」
当初の目的を忘れているのでは、と由紀恵は2人を一瞬だけ見た。
そして由紀恵と通路を挟んで隣に座っているも、ノートパソコンのモニターに落としていた視線を上げ、釣りの話をしている溝口と相槌をしている真矢を見た。
『目的はあくまで資材確保だが、島はまだ、完全に防衛機構が停止しているとは限らない』
インカムから聞こえる総士の声で再び視線を戻し、パイロットの精神状態を確認する。
『だから、切り札とも言えるファフナーを今回投入した。両パイロットには期待している』
(期待はしているけど、甲洋と組ませたのは間違いだったかもね)
今は安定した状態で、兎に角緊張せずに落ち着いている。
とは言え、甲洋が一騎に対して敵意を持っていることには変わりがない。
恐らく、何らかのトラブルが起きるだろう。
「まもなく、目標の島上空に到着します」
副操縦士の声が、輸送機に乗る人々の耳に届いた。
(一騎!翔子の墓を元通りにしたくらいで………お前は…………お前の償いは済んだと思っているのか!!)
「一騎!!!」
『感情が乱れているぞ!甲洋!!』
はっと息を呑んだ。
一騎の名前を叫んだのは無意識だったからだ。
「今は何も考えるな………任務に集中しろ」
任務遂行の為には、余計なことを考えてはならない。
だからあえてそう言った。
『調子でも悪い?若干感情が乱れてるけど』
目を閉じていた一騎は、の声を聞いてゆっくりと目を開けた。
モニターにが映る。
「……今回は……システムにいないんだな。何か、変な感じがする」
『一騎なら、Gシステムなしでも大丈夫だよ』
「……そうかな……解らないけど………その、総士だけなんだよな?」
『クロッシング?そうよ。何で?』
「なんか……ともクロッシングしてるような………」
顔に軽い驚愕の色を浮かべた。
だが、本当に僅かな表情の変化だったので一騎は気付かなかった。
『システムに入ってないから、無理だよな。変なこと言ってごめん』
「えっ?あぁ……うん、気にしないで。錯覚よ、錯覚」
『目的地に到着したぞ!』
2人の会話を割り込むように総士の声が入り、頑張ってね、と言って通信を切った。
誰にも気付かれないよう、はそっと息を付いた。
『真壁は知らない筈だな?』
(一騎は知らないわよ。司令と総士以外で知ってるって言ったら、乙姫ぐらいでしょう)
パソコンをバッグの中に入れ、着陸に備える。
『野生の感?それとも、本能的?』
(……さぁ……兎に角、私はGシステムを起動していないってことになってるから、下手なことは出来ないのよね)
『まさか、システムに入っていなくてもクロッシングが可能だとは……言えないか』
(生きている間は、一生言えないでしょうね)
Gシステムは、ジークフリード・システム同様に搭乗者がいなければ起動しない。
しかし、現在そのGシステムは起動し、パイロット達とクロッシングしている。
システムから離れた状態でも、は彼らとクロッシングし、搭乗時と変わらない活動が可能である。
だが、この事実を知る者は少なく、自身が言った通り、史彦と総士、乙姫の3人だけしかこのことは知らない。
これは総士がGシステムの搭乗者であっても、のようなことは出来ない。
搭乗せずにクロッシングが可能なのは、と言うこの少女だけ。
降下し始めた輸送機は、若干揺れながらも目的の島に近づく。
あの島で待ち伏せているモノに、今はまだ、誰も気付かない。
1人、また1人と、絶望の叫びを上げることになるとは……。
誰も、想像していなかった。
その時………僕達にあったのは、戦いに生き残った喜びなどではなかった。
誰か1人を犠牲にしたという現実。
………それを受け止めるだけで…………皆、精一杯だった………。