壊れ始めた友との絆。
擦れ違う、互いの思い。
離れて行く、絶対であった存在。
狂い始めた、子供の世界。
あなたは、そこにはいない。
羽佐間容子は職員の2人に呼ばれ、少し暗い作戦会議室にいた。
「羽佐間翔子が死亡したことは残念でしたが、我々はアーカディアン・プロジェクトを進めていかなければなりません」
この島と、日本の文化を残す為にも、悲しみに浸っている暇はない。
「アルベリヒド機関から、次の子供を育ててみないか、と言う申し入れがありましたが、どうしますか?」
「………例え………例え、自分で生んだのではなくても、羽佐間翔子は私の娘です」
「えぇ、その件に関しましては……」
「私の娘は翔子だけです!!」
血の繋がりはないけれど、それでも愛するたった1人の娘だった。
その娘が死に、新たに子供を育てることなど、絶対に出来ない。
それこそ、娘に対する裏切り。
それだけは、絶対にしたくはなかった。
「………そうですか………」
これ以上、容子を説得することなど出来ないと判断し、職員は席を立って部屋を出た。
1人残された容子は、ただ手を握り締めるしか出来なかった。
2名の個人データを見ながら、ある家の電話番号を押す。
何度か呼び鈴が鳴ってから、女性が電話に出た。
『はい、春日井です』
「アルヴィス、ファフナー開発チームのと言います。息子さんはご帰宅でしょうか」
『甲洋ですか?はい』
「申し訳ありませんが、明日の件でお知らせがありますので、変わって頂けませんでしょうか」
『はい。ちょっとお待ち下さい』
ぱたぱたと、電話から去って行く音が聞こえ、は小さく溜息を漏らした。
春日井夫婦を全く知らない訳ではないが、言葉を交わした回数は数える程しかない。
彼らはアーカディアン・プロジェクトに参加しているものの、アルヴィスに出入りしている訳ではない。
暫くすると足音が受話器越しに聞こえた。
「はい、甲洋です」
『休んでいるところ悪いが、パイロット候補生全員、明日訓練があることは知っているな』
「はい」
『明日は訓練メニューを変更する。ファフナーに乗っての訓練だ。春日井が提案した内容、上が承諾した。出来るな』
「はい」
『では、明朝10.00までにご両親を連れてブルクに来るように。遅刻だけはするな。明日に備え、今日はもう寝ろ』
「分かりました」
『それじゃ』
相手が電話を切ると、甲洋はゆっくり受話器を置いた。
「何だったの?」
「明日、父さんと2人で来て欲しいんだ」
「え?」
諒子は目を丸くして驚いた。
次の日を迎えても、雨は相変わらず降っていた。
『室外気温26度。湿度87%。南南東の風、風速8m。視界はあまり良くありません。お互いの位置を十分確認し、接触事故は避けて下さい』
「早く始めて下さい!」
『言葉を慎みなさい、甲洋』
冷めたの声に、甲洋はちっと舌打ちした。
「……ほんとに……やって良いんだな……?」
パイロット達には手加減なしの真剣勝負をするように、とから言われている。
とは言え、やはり一騎は少々気が引けるらしい。
「死なない程度にな」
『敵がファフナーに変わっただけで、手加減はいらないわ』
むしろ、一騎を倒す勢いで来ている。
手加減をしようものなら、後で怒られるのは目に見えているだろう。
は小さく溜息を漏らし、3人分のデータを正面と左右にそれぞれ分けてモニターに出した。
「ファフナー搭乗員は、今一度保有する全ての弾が、ペイント弾であることを確認して下さい」
『マークエルフ、確認完了』
『マークフィアー、確認』
『マークドライ、確認』
3人の顔がモニター映し出された。
ファフナーブルクには、容子と背中合わせに座っている千鶴、史彦、由紀恵、甲洋と咲良の両親、計7人がモニターに映る子供達を見ていた。
「ファフナー連結員は、今一度全ファフナーとの連結が正常であるか確認して下さい」
『ジークフリード・システム、確認』
『ガーディアン・システム、全ファフナー及びジークフリード・システムとの連結を確認』
「ジークフリード・システムはマークフィアー、マークドライの補佐をお願いします。ガーディアン・システムはマークエルフの補佐を担当して下さい」
『『了解』』
「では、ステージ1から始める。マークフィアー、マークドライは、ポイント0より、ポイント1を目指す。マークエルフは3分後、これらにアタック。タイムリミットは15分だ」
『『『了解!!』』』
「始めてくれ」
ステージ1開始のサイレンが鳴った。
マークフィアーとマークドライはマークエルフから離れ、ポイント1を目指す。
去って行く2機を見送り、一騎はその場で3分間の待機。
『あまり乗る気じゃないみたいね』
聞こえて来たの声に、一騎は眉を顰めた。
「俺は、皆に乗って欲しくないだけだよ」
『それは無理ね。敵は1体だけじゃない。何時までも、候補生としておいておく訳にはいかないの』
「けど、だからって」
『2人は望んでやっている。一騎が心配することなんてない。それに、の組んだ特別訓練メニューをやってるんだし』
そう、あのが組んだ訓練メニューをやっている2人だ。
通常の訓練内容よりはかなり難しく、更にレベルが少々高い。
一騎が心配する程、あの2人は弱くはないのだ。
確かに、一騎よりは劣るが。
『マークエルフ、出撃まで残り10秒』
考えている暇はない。
こうしている内に、敵は確実に成長して竜宮島を襲おうとしているのだ。
出来る時に出来るだけのことをする。
『マークエルフ、出撃』
「了解」
マークエルフは2機を追って走り出した。
視界は確かに悪いものの、Gシステムと連結している為か滑ることはない。
『此処まではまずまずだ』
「そりゃどうも」
『奴も追って来ている。左後方だ。28秒後に接触する』
自分達が通って来た道とは違い、斜めに横断するよう近づいて来ている。
『感情をコントロールするんだ。反応が鈍るぞ』
「分かってるっ」
守る為に、一騎だけには負けてはいけない。
この模擬戦は、自分の実力を確かめる為と、一騎に自分の力を見せ付ける為だ。
そして、胸の内に秘めた怒りを、一騎にぶつける為。
「2人共、心拍数、脈拍数、共に若干高めですが、初めての搭乗であることを考えれば正常な範囲だと言えます」
外見から見れば何時もと変わらない、元気で普通な子供だと思える。
しかし、彼らには確実に体内で異変が起こっているのだと、大人達は知っていた。
そして、それは総士とも知っている。
『足場が悪いけど、気にせず動いて良いわ。Gシステムでそれなりに強化はされているから』
「解った」
追っていた2機を見付け、一騎は行動に出た。
最初に狙われたのは咲良。
総士の言う通り、28秒後に接触したので僅かな驚きがあった。
すぐに応戦しようと振り返った瞬間、マークエルフがあまりにも近くにいたので思わずよろけ、派手に倒れこんだ。
足場が悪かったのも1つの理由だが、Gシステムが起動している以上それを言い訳に出すことは出来ない。
一騎は最初に確認した通り、手加減なしでペイント弾をマークドライに撃った。
「あっ!」
マークドライと行動を共にしていたマークフィアーは、マークエルフに向かってペイント弾を撃つ。
しかし簡単に避けられてしまった。
「ちっ!!」
狙いを定めて撃とうとするが、足場や視界が悪いにも関わらず素早い動きをする。
確実に当てる為には、相手の動きを読まなければならない。
それを甲洋や咲良が出来れば、素晴らしいと言うしかないだろう。
だが、そんな器用なことが出来る訳もなく、がむしゃらになってマークエルフに撃つ。
一発たりとも当たることはない。
崖をたんたんと上るマークエルフは、軽やかに宙を飛び、着地と同時に引き金を引いた。
ペイント弾はマークフィアーに当たり、戦闘不能を知らせる音が響いた。
「……あぁ……」
これが、真壁一騎と自分の間にある力の差。
甲洋はただ驚きと絶望の眼差しでマークエルフを見上げていた。
「ステージ1終了。ステージ2は、20分後に開始する」
次のステージが始まるまでに、武器の交換と新たなポイントの説明があった。
ステージ1より少しグレードアップし、場所もステージ1から移動する。
その間、ステージ1で収集したデータを元に、総士とが甲洋と咲良の為の作戦を考えた。
次なるステージは1の逆で、指定されたポイントに向かうマークエルフをアタックするものだった。
しかし、いくら総士とが考慮した作戦でも、甲洋と咲良では完璧にやり通すことが出来ない。
実力がないから、と言う訳ではないのだが、いきなり模擬戦はきつかっただろうか。
は途中からマークエルフのみクロッシングを解除した。
これも、史彦との話しで決まったことだ。
Gシステムがない状態で、パイロット達は何処まで立て直せるか。
動きや狙いを定めるのが狂ったようだが、何とか自己修正は出来ている。
まずまずと言えるだろう。
後方にマークドライが現われたのに気付き、振り返って2発撃つ。
接触したマークフィアーにも2発撃ち込んだ。
「ステージ2終了。次、ステージ3」
隙のない一騎に、甲洋も咲良も決定的なダメージを与えられない。
マークフィアーは3発食らい、マークドライは地面に弾き飛ばされ、6発も食らった。
ブルクからこの模擬戦を見ている史彦は、ステージ1・2・3を見て何とも言えぬ表情を浮かべていた。
パターンを変えて行ってみたが、結果は何1つ変わらない。
「……恐ろしいものだな……メモリージングを始めた時期は、同じだと言うのに……」
一騎は訓練なしでファフナーに乗り、敵を倒した。
だが甲洋と咲良は、訓練をしてこの結果だ。
これは、訓練をした時間と内容による差ではないのだろう。
「続行させますか?」
『許可出来ません』
由紀恵の問いかけに、敏感になって答えたのはだった。
モニターにが映し出され、真っ直ぐな目で史彦を見ている。
『これ以上どう設定を変えても同じです。続行させると言うのなら、強制的にファフナー全機を収容します』
Gシステムではそれが可能だからこそ、は言う。
パイロットなしの遠隔操作は無理でも、パイロットありなら一体化している為動かせる。
「ステージ3で終了。ファフナー全機、ブルクに戻ってくれ」
全ステージ終了のサイレンが、剛瑠島に鳴り響いた。
ファフナー全機がブルクに収容され、無事に模擬戦は終了した。
結果は、初めてファフナーに乗る2人にとって、あまり良い経験ではなかっただろうが。
「甲洋と咲良はご両親と一緒にメディカルルームへ移動。一騎は着替えてマークエルフの整備」
『『『……了解……』』』
パイロット達との通信を切り、はふぅっと息を付いた。
ファフナーとジークフリードのクロッシングを解除し、外に出る。
『落ち込んでいるだろうな、あの2人』
(仕方がない、と言えば仕方がないかもしれない。今回の結果が、今後どうなるか)
『……そうだな……』
2人が心配するのは、今後の彼らの行動だ。
メディカルルームに行くよう伝えたが、それが何故なのか2人には伝えていない。
あの一騎にすら、メディカルルームに行かせた理由を伝えていないのだ。
史彦は、我が子の身に異変が始まっていると知りながら、本人には知らせなかった。
知らせるだけの勇気が、史彦にはない。
「これが私の実力じゃないわ」
ファフナーから降りた咲良は、迎えてくれた母親に向かってそう言った。
「……解ってる……でもね…………危険だと思ったら、何時でも逃げなさい。それが命令違反でも」
「えっ?」
「でないと…………羽佐間さんのように…………」
「えぇ!?」
脳裏に浮かぶ、翔子の最後。
フェンリルを使って、翔子は何も残らず死んだ。
「………死ぬのは嫌!…………でも逃げない」
澄美は息を飲み込んだ。
「父さんを殺した敵を………一体でも多く倒したいの!!」
それが父の供養になるから。
澄美は娘の意志を悟り、目を逸らした。
誠一郎さんは、娘を危険な目に合わせてまで戦うことを望んではいない。
母の目に宿る不安と悲しみに、咲良は気付くこともなかった。
「………俺の力って………この程度だったみたいだね」
咲良同様にファフナーから降りた甲洋は、近くにあった長椅子に腰を下ろしていた。
一騎との模擬戦をやって、結局得たのは完全な敗北。
両親に自分の力を見せ、一騎を見返してやるつもりでやったのに、思い知らされるのは2人の間にある力の差。
「良いのよ………あなたの実力が分かっただけでも、成果はあったわ」
母の言葉に、甲洋は視線を上げる。
「さぁ、もうこれで終わりだ」
「えっ?」
少し離れた所で自分を見下ろす父に、甲洋は思わず聞き返した。
だが、父は相変わらず覚めた目で見下ろすばかり。
「じゃあ、メディカルルームへ行きましょう」
母に言われ、甲洋は腰を上げた。
父の言った意味は、一体どう言う意味なのだろうか。
甲洋はそれを聞きだすことが出来なかった。
◇ ◆ ◇
誰よりも先にブルクから離れたは、バーンツヴェク内でと交代し、メディカルルームへ急いだ。
既に中では弓子が準備しており、はコンソールに触れてブルクから送信された2人の個人データを呼び出した。
暫くしてから千鶴と2人が現われ、千鶴の指示の元奥の部屋に入って行く。
1人ずつチェックすると、一騎同様に異変が起こっていた。
「どうしても断れなかったの?」
弓子は千鶴に尋ねる。
本当ならまだ乗せたくはなかった。
だが、総士の言うことも一理ある。
断れる状況だったなら、千鶴は断固して譲らなかっただろうが、状況が状況だ。
断り通すことなど出来なかった。
一方ファフナーブルクでは、メカニック達がファフナーの整備に取り掛かっていた。
「実戦なら棺桶だなぁこりゃ」
一平の声がブルクに響いた。
収容されたファフナー3機中2機は、ペイント弾をかなり食らっている。
これが実戦であったなら、パイロットの命はなかっただろう。
「少しは見所もあったぞ」
保の言葉に、一平はマークエルフの足下を見た。
「ほんとだ」
たった一発だけだったが、マークフィアーのペイント弾を食らっていた。
本人達が気付いているか分からないが、一騎は多分知っているだろう。
当たれば、自動的に知らせてくれる。
そして、ファフナーと一体化しているも気付いている筈だ。
これはこれで、模擬戦をやった甲斐があっただろう。
だが、そう思っているのは保をはじめとするメカニック達だけで、当てた甲洋は気付いていない。
またそれを、は甲洋に伝えてもいなかった。
たった一発だけ当てたとしても、甲洋は喜ぶことはないと判断したからだ。
自信喪失している彼に、欠ける言葉などは持っていない。
今やるべきことは慰めの言葉を探し、声をかけることではない。
やらなければならない仕事が、山のように積み重なっている。
唯の子供として、彼らと同等な立場でアルヴィスにいることなど、とうの昔から許されていないのだから。