ぽっかりと空いた大きな穴。
 悲しみを紛らわすように、戦い急ぐ者達。
 時は残酷にも進み、人の心は癒えぬまま。
 あなたがいない、欠けた世界。
 それでも時は止まらず、先見えぬ未来に進み続けている。










 空気を、鋭い何かが切り裂いた。
 夜が明ける約1時間前の竜宮島周辺は、怪しくて重い雨雲が流れていた。
 昨日とは正反対で、気持ちまでもが暗くなる天気。
 そんな気持ちを打ち破るように、夜も明けていないこの時間を選び、1人剛瑠島までやって来た。
 無駄な動きは一切せず、手に握る1本の刀に全身全霊を注ぎ込む。
 少し冷たい風を受けながら、括られている黒髪がさわりと揺れる。
 じりっと砂と草履が擦れた。
 次の瞬間、ばっと強い風が吹き、地を蹴った。
 刀は、空気を切り裂いた。
 ピーッ、ピーッ、ピーッ。
 地面に置いていた鞄の中から、携帯電話が鳴った。
 少し屈んでいた体を起こし、刀を鞘に納め、は身を翻して携帯電話を取った。

「………はい」

 自宅にいる、真壁史彦からの電話だった。





 史彦に言われ、は即戦力になるパイロットをリストアップした。
 そのリストを作り上げ、司令補佐である由紀恵に渡してファフナーブルクに向かう。
 ブルクの地を踏んだのは、髪を下ろした
 の足は全ファフナーのデータを記録したコンピューターへと向けられた。

「即戦力になるのはこの2人か」

 がリストアップした人物を見て、史彦は難しそうな表情を浮かべる。

「辛うじて、ですが」

 本当に、辛うじて戦えるパイロット。
 の特別訓練メニューを組んでも、一騎に近づくことはまだ出来ない。
 その補佐でさえ、出来るか分からない。

「ガーディアン・システムは?」
の報告によると、やはりまだ完全ではないようです。遠距離操作も、暫くは使えないとのことです」

 ガーディアン・システムの遠距離操作さえ使えれば、今直ぐにでもこの2人を出さなくても済む。
 だが、そのシステムが不完全ではどうしようもない。
 史彦は思わず重い溜息を付いた。
 焦ってはいけない。
 焦りは人を不安にさせるから。
 不安になってはいけない。
 不安は人を混乱させるから。
 止まってはいけない。
 止まれば時間が過ぎ去るから。
 悲しんではいけない。
 覚悟は決めている筈だから。
 何時でも冷静で、先を考えなければならない。
 だから、振り返ってはいけない。
 そう、決めたから。

『…………』

 の呼び声に、は一瞬動かしている手を止めたが、すぐに動かし始めた。

『いくら遠距離操作のシステムを再構築しても、コアである乙姫が許可していない。今やっても同じことだろう』

 の言う通り、本来ならガーディアン・システムが使えるようになったことで、遠距離操作も使用可能となる筈であった。
 しかし、現に今それが使えない。
 その理由は乙姫にある。
 連結しているブリュンヒルデ・システムの皆城乙姫が、ガーディアン・システムの遠距離操作を使用不能にさせているのだ。
 それが一体何故なのか、は知らない。

「………これさえ使えれば、食い止められるのに………」
さん、何か言いましたか?」

 の近くで作業をしていたメカニックが、呟くの声を聞いて振り返った。

「いいえ。何も言っていませんよ」

 にっこりと笑い、パネルを触れて電源を切る。
 メカニックは空耳かなぁと言って首を傾げている。
 そんな彼に、は下にいる甲洋達の方を指した。

「彼らの声じゃないですか?」

 容子がパイロット候補生達に何か話している。

「反応速度は順調に伸びているわ。無理にファフナーと一体化しようとせず、少しずつ時間をかけてやりましょう。急いで戦いに出ることなんて、ないのよ」

 容子なりの、彼らへの気遣い。
 だがそれを聞き入れず、甲洋は口を開いた。

「訓練なんてもういいです」

 訓練ばかりしていても、実戦ではどうなるか解らない。
 だからもっと、訓練ではなく実戦に近いことをやりたい。
 そうでなければ、また失うから。

「お願いが、あります」

 甲洋の瞳に、迷いはなかった。





 史彦に呼ばれ、千鶴はCDCにやって来た。

「受け入れられません」

 それが千鶴の答えだった。

「どうしてですか?春日井の提案に僕は賛成です」
「どうしても、です」

 司令と指揮官相手に、千鶴は今回上げられた訓練内容に賛成出来なかった。
 即戦力になる2人をファフナーに乗せ、一騎1人を相手に模擬戦をやるなどと、許せる筈もない。

「シミュレーションには限界があります」
「でも、それは……」
「実戦で力が発揮出来なければ、意味がありません。戦いで生き残る為の訓練が必要なんです」

 総士が言っていることも理解出来るが、だからと言って染色体の変化を止めることは出来ない。
 ファフナーに乗らなければ、同化現象だって起きない。
 何も言い返すことが出来ない千鶴に、助け舟を出したのはだった。

「総士、遠見先生の考えも少しは察して」
ちゃん」

 は時折千鶴の手伝いをやっている。
 特には、パイロット候補生の世話もやっている為、彼らの健康管理は仕事の内。
 千鶴が何を恐れているのか、傍にいれば解る。

「マークフィアーは春日井甲洋が。マークドライには要咲良が最適任者です。明朝、マークエルフを含めた3機での模擬戦を行います。ただし、最大延長は2時間まで」
!」
「春日井甲洋が何でこんなことを要求して来たのか………解らない訳ではないでしょう?」

 総士はの言葉を聞いて、それ以上何も言えなかった。
 彼がこんなことを言う原因は何なのか、解らない筈がない。

「……憎しみで……ファフナーに乗られたら困るのよ………私も……総士もね……」

 解っているでしょう。
 最後のの言葉で、模擬戦の話は終了した。
 重い雰囲気が、CDCを包み込む。





 CDCで模擬戦を執り行うことが決定した同時刻、甲洋は更衣室で着替えを終らせていた。

『ブルクスタッフに業務連絡。マークゼクス抹消により、作業シフトが繰り上げとなりました。各自担当部署の作業、確認をお願いします。繰り返します。ブルクスタッフに業務連絡。マークゼクス抹消により―――』
「まったく、あの野郎ぉ。面倒なことやってくれたよな」
「俺達の大事なマークゼクスをよぉ」

 甲洋は自販機の前で不平を言っているメカニック達の横を通り過ぎる。

「メカニックの身にもなってみろってんだ」

 誰も、翔子の死を悲しんではいない。
 それどころか、翔子の命よりファフナーを失ったことを悔しがっていた。
 何故、翔子の命は戻らないのに。
 何故大人達は、翔子が守ったのに感謝をしない。
 湧き上がる怒り。
 この怒りは、誰にぶつければいい。
 助けることが出来ず、守ることも出来なかった。
 そして翔子が死んでも尚、守ることが出来ない。
 墓参りに来て見れば、酷く荒らされていた。
 誰がやったのか、見付け出す気にもなれない。
 甲洋は荒らされた翔子の墓を、綺麗に掃除し始めた。
 そして降り始めた、冷たい雨。
 まるで誰かの涙のように、その雨は静かに降る。
 雨の中、傘も差さずに総士と一騎、の3人は坂を上っていた。
 2人の後ろを歩き、海を見渡せる墓地に向かう。
 いくつかある墓に、一体どれだけの遺骨があるだろうか。
 フェストゥムのワーム・スフィアーで、何も残らず消えた人は多い。
 先を歩く2人の足が止まったことに気付かなかったは、思わず2人の背中にぶつかった。

「大丈夫か?」

 一騎が振り返って聞く。
 は片手で鼻を押さえ、もう片方で手を振った。
 何があったのか、聞かなくても総士が見る先を見れば解った。
 羽佐間翔子の墓の前にいる甲洋と、荒らされた墓。
 唯の悪戯にしては性質が悪い。
 ペンキを落とすことは出来ず、散らかった花を取り、3人が買った花を綺麗に供え直した。
 本当は線香を上げたいのだが、雨の中では何の意味もない。
 甲洋は手を合わせ、3人は手を前で組んで翔子の墓を見る。
 翔子が見たら、どう思うだろうか。




                      ◇    ◆    ◇




 護衛艦を失い、渡される筈だったファフナーを失った新国連は、再度竜宮島に通信を入れていた。

『それでは、ノートゥング・モデルを受け渡しては頂けないと?』
「此方は新国連の輸送艦隊を守る為に、ファフナー一機を失ったのだ!そちらに譲るものなど、残ってはいない!!」
『………しかし………』
「お前達はこの島を、日本のように生贄にするつもりなのか!?」

 返答はすぐに返って来なかった。
 いや、返答がなかったことこそが返答なのかもしれない。

「もうこれ以上犠牲を払う訳にはいかん!失礼」

 さっさと通信を切り、背凭れに身を預けた。
 蘇って来るのは、戦闘終了後に聞いた少年の言葉。

―――新国連にファフナーを渡すな。迫って来ても、マークゼクスを失った以上、渡す訳にはいかないとでも言え。

 何時もなら年上である者達にはきつい言い方をしないが、通信越しでも分かる怒りに満ちた声で言った。
 苦しむ子供。
 悲しむ子供。
 心の中の叫び声が聞こえるようで、耳を塞ぎたくなる気持ちはよくある。
 しかし彼らは、いくら心の中で叫ぼうとも、それを表に出すことは絶対にない。
 出すことを、自分自身許していないから。
 他の子供達とは、あまりにも違い過ぎる。

「なんか……翔子がいなくなったなんて、思えないんだ。実は、何処かに転校したとかさ……」

 写真の中で笑う、翔子を見ているとそう思う。
 この写真は、転校する前に取った記念写真のようで。

「そう考えると、気が楽ってことだろ?」
「姉御」
「じゃあどんな風に考えろってのさ!!」

 友達が死んで、悲しんでいるのに。
 1人の命と引き換えに、島が守られて……。

「………戦って満足して死んだんだよ………翔子は………」
「そっ、そんな!」

 島を守ることが出来て、敵を倒すことが出来て、それで満足だったのさ。
 翔子は、守られた鳥篭から出て行っただけだ。
 咲良は凭れていた体を起こし、海中展望室から出て行く。
 剣司は下を向き、手を握り締める。

「俺達もそうしろってのかよ!」

 自分の命を引き換えに、この島を守る。
 それが、パイロットに求められるモノだと言うのだろうか。
 そんなことの為に、自分達は生まれたと言うのか。
 剣司はただ、歯を食いしばるしか出来なかった。





 開けられた部屋は、電気も点いていない暗闇に支配されていた。
 通路から入る光が、部屋の一部を明るく照らす。
 何もない殺風景な部屋には、ベッドの上に翔子の鞄と麦藁帽子が置いてあった。
 その2つは、まるで持ち主である羽佐間翔子の帰りを待っているかのように見える。
 しかし、もう翔子はこの鞄を持つことも、麦藁帽子を被ることも出来ない。
 何故なら彼女は……本物の空に向かって羽ばたいてしまったから………。





 瞑った目を開け、ゆっくりと立ち上がった甲洋は、後ろにいた一騎に襲い掛かった。

「お前なら助けられた筈だ!お前はファフナーに乗ってたじゃないか!!」

 誰よりも翔子の近くにいて、翔子を助けることが出来た。
 翔子を助け、敵を倒すことが出来た筈だ。
 それを思うと、甲洋は一騎を許すことが出来ない。

「お前なら!!!」

 そう、同じファフナーに乗っていた一騎なら。

「あの状況では無理だった!!」

 2人の間に入り、総士は甲洋に言う。

「でも何か出来た筈だ!助けられたんだ!!」

 叫ぶ甲洋に、一騎と総士は唯見詰めることしか出来ない。
 甲洋は、一騎を責めると同時に自分自身も責めている。
 そう思えるのは、表情が怒りではなく悔しさに満ちているからだろう。

「自分達だけ生き残って!それで良いのか!?無理だったなんて………そんなんで納得しろってのか!?」

 翔子が死んだことを受け入れられない甲洋。
 それは母親である容子も同じことで、やり場のない怒りはただただ積もるばかり。

「……翔子は……苦しんで…………苦しんで死んだんだぞ!!………なのに………俺達だけ生き残って………」

 力なく崩れた体。
 弱弱しくなる声。

「………勝手なこと、言わないで………」

 今まで何も言わず、唯翔子の墓を見詰めていたが、重い口を開いて言った。

「翔子が、何時苦しいって言ったの?」
「っ!」

 ゆっくりと甲洋に向けられた視線は、何故か冷たく感じられ、背中に異様なモノが走った。

「それに、一騎を責めるのは筋違い。翔子は自分で選んで決めたことなの。誰のせいでもないよ」
「…………そうやって…………そう言って、助けられた筈の羽佐間を殺したのか!?は!!」

 の胸倉を掴もうと、甲洋は腕を伸ばした。

「止めろ、甲洋!!」

 一騎が甲洋を止め、総士がを庇う。
 甲洋は怒りに満ちた瞳でを睨んでいた。

「俺は許さない!絶対、お前を許さないぞ!!!!!」
「「甲洋!!」」
「………構わないよ」

 静かに告げられたの言葉に、3人は動きを止めた。
 冷たい目をしているのに、今まで見たこともない何とも言えぬ表情で此方を見ている。

「でもね、アルヴィスにいる時の私は上官。それ、忘れないで」

 それが現実なのだと、甲洋に突き付ける。
 アルヴィスにいる時は、嫌でも付き合わなければならないのだと。

「くそっ!」

 自分を抑えていた一騎を突き飛ばし、甲洋は3人の前から走って去って行った。
 3人の間で無言の空気が流れ、耳には振り続ける雨の音が入る。

「………道具、取って来る」

 2人の間をすり抜け、来た道を帰って行く
 残された2人は複雑そうな表情で互いを見詰め、去って行くの後姿を見送った後、荒らされた翔子の墓を見た。
 此処に翔子の遺骨がなくとも、魂は未だこの竜宮島を彷徨っているかもしれない。
 この騒動を見れば、翔子は涙を流すだろう。
 いや、この雨が翔子の涙なのかもしれない。





 誰もいない暗闇の中で、真矢は翔子の麦藁帽子を抱き締めて泣いていた。
 死んだのだと、何故かその日は受け入れられなかった。
 目の前で、と言う訳ではないが確かに自分の目で見た、翔子の最後。

「……翔子ぉ……」

 呼んでも、もう二度と返事を返してくれない。
 それが真矢に、羽佐間翔子は死んだと突き付けるモノだった。