楽しい時間。
それは幻。
消えてしまう、過去の思い出。
友達から仲間へ、仲間から友達へ。
私とあなたの関係は………一体なんなんだろう。
目に入った靴を見て、慌てて顔を上げた。
やっと来たのだと思って、嬉しくなる。
しかし、瞳に映ったのは求めていた人ではなかった。
「どうした?こんな所で」
「……春日井君……」
一騎ではなかったことに、翔子は肩を落とした。
「大丈夫か?顔色悪いぞ?」
「そんなことないよ」
「なら……、良いんだけど」
翔子はゆっくりと立ち上がろうとして腰を上げたが、目の前が一瞬ぐらついた。
「羽佐間!」
「翔子!?」
遠くの方で、名前を呼ばれたような気がした。
病室に運ばれた翔子は、千鶴に容態を見て貰っていた。
「軽い貧血のようね。大丈夫、これなら心配いらないわ」
「……良かった……」
心底安心する甲洋。
彼が翔子に想いを抱いていることは、前から気付いていた。
「ごめんね、春日井君。翔子なんだか、頑張りすぎちゃったみたいで」
一騎に会えるだけで喜んでいた翔子。
だから、一緒にいられる時間が出来て嬉しかったのだろう。
「羽佐間のやつ、きっと今が楽しいんだろうなぁ」
皆と一緒にいられて、翔子にとっては何よりも嬉しい筈だ。
翔子が笑ってくれるなら、自分も心から笑っていられる。
例えその笑顔が、他へ向けられていても。
◇ ◆ ◇
ファフナーブルクの丁度真上に、ガーディアン・ルームと言う所がある。
ジークフリード・システムとほぼ同じ働きを持つ、ガーディアン・システムがある場所。
守護者のいる場所、と呼ばれている。
今、ファフナーの最終調整と平行して、ガーディアン・システムを起こしている。
は資料を片手にタッチパネル上で指を踊らす。
片手での打ち込みは慣れたもので、メカニック達が感心するほどだった。
「本当に速いのね、君は」
「羽佐間さん。どうですか、ファフナーの調整は」
「今、リンドブルムの修理とマークフィアー、マークアハトの調整を急いでいるわ。マークゼクスは真壁司令に言われた通りにしているけど」
「そうですか」
明日、マークゼクスを新国連に引き渡す。
メカニックのほとんどは、リンドブルムの修理かマークフィアーとマークアハトの調整に回っている。
そして、ガーディアン・システムの調整にも数人のメカニックが手を貸してくれていた。
「Gシステムは使えそう?」
「使える筈なんですが、ジークフリード・システムが最優先でしたから。此方の調整はほとんど手を付けていませんでしたし、完全に目覚めるのはまだ先です」
「あの日以来、ちゃんは一度も乗っていないものね。やっぱり、乗って欲しくない?」
は口を閉ざした。
あの日、と言うのは遠い過去のことではない。
今でも鮮明に記憶している。
「俺達には………そんな子供みたいな我儘を言える立場じゃありませんから。これに乗れるのは、だけしかいないんです」
「……そう………だったわね……ごめんなさい、余計なことを言ってしまって」
「いえ、羽佐間さんが謝ることでもありません。何時か乗る日が来ることは、も分かっていることです」
逃げてはいけない。
目を逸らしてはいけない。
真っ直ぐ前だけを見て、突き進まなければならない。
それが島の真実を知っている者の務め。
「Gシステムはノートゥング・モデルとのクロッシングをやったことがありませんし、データを全て書き換えなければいけませんから、実戦投入は何時になるやら」
「そう言えば、あの時はティターン・モデルとのクロッシングだけ……だったわね」
「えぇ、もう………残ってはいませんけど、ね」
ノートゥング・モデルの前のファフナー、ティターン・モデル。
もはやその機体は存在せず、データもアーカイブに移された。
はGシステムを見上げ、そっと溜息を漏らした。
「そう言えば、先程病室から呼ばれていませんでしたか?」
「えっ?あぁ……翔子が倒れちゃったみたいで」
「行かなくて良いんですか?」
「軽い貧血だって言ってたし、真矢ちゃんもいるようだから。仕事、まだ残っているしね」
肩を竦める容子。
は近くにいたメカニックを呼び、自分が持っていた資料を渡す。
「暫くファフナーブルクにいるので、これで調整をして下さい」
「分かりました」
「羽佐間さんは病室に行って下さい。その間のことは、俺がやっておきます」
「い、良いわよ!君も自分の仕事が終わってないんだから」
「ファフナーの調整も、俺の仕事の一部です。それに、心配そうな顔していますよ」
ふっと笑うと、はファフナーブルクに向う。
容子は慌ててその後を追った。
「でも、良いの?」
「大切な家族でしょう?家族は大切にするものですよ、特に今のような状態では尚更」
「……君……」
「パイロット候補者の世話も仕事の内ですが、今はそこまで手が回りません。先にブルクの仕事を終えてから行きます。羽佐間さんは早く娘さんの所に行って上げて下さい」
「………ありがとう」
容子は少し早歩きでヴァーンツヴェックに向った。
は苦笑してそっと息を吐いた。
休憩室に千鶴と由紀恵がいた。
「羽佐間翔子のことなんだけど、彼女の体調を考えて、少しプロジェクトを休ませたいと思っています。考えて頂けるかしら」
「…………無理ですね」
「それは、真壁司令の考え?それとも、狩谷先生の考え?」
「アーカディアン・プロジェクトの方針です。先生も、我々に残された時間が少ないことはご存知でしょう?」
早過ぎた敵の発見。
見付かってしまった新国連。
これら2つから島を守る為には、1人として欠かす訳にはいかない。
「それは、解っているつもりだけど………彼女の病気は」
「持病の筈………ですよね。あなた、この計画で何人犠牲にして来たの?」
千鶴は俯いていた顔を思わず上げた。
「………今更何を………」
今更、持病の翔子だけを特別扱いすることは出来ない。
今まで多くの人間がこの計画で命を落とした。
世代ごとに酷さは違っているが、死んだ者はもう還らない。
今更、誰か1人を特別扱いしてプロジェクトから離すことなど許される筈がない。
千鶴は力強く手を握り締めた。
ゆっくり目を開けると、眩しい光が目に入った。
「気が付いた?」
「あれ程無理しちゃいけないって言ったのに……」
「……ごめんなさい……」
「身体の方は大丈夫?」
「うん」
「お母さん、ブルクで仕事が残っているから、今夜は此処で休ませてもらいなさい」
「はい」
「あたしも一緒に泊まって上げる」
「本当!?」
1人でいるにはまだ慣れないアルヴィスで、一晩を過ごすなんてことは絶えられなかった。
けれど、真矢が一緒に泊まってくれると言うことで、翔子は心強くなった。
「俺も一緒に付いててやるよ」
「え?」
真矢は少しだけ驚いた。
しかし、翔子は嬉しそうに笑う。
「ありがとう」
「それじゃあ俺、西尾のお婆ちゃんのとこで、なんか美味しいもんでも買って来るよ」
「うん」
走って部屋を出て行く甲洋を真矢は見送った。
多分、彼も翔子と一緒にいられるのが嬉しいのだろう。
「それじゃあ、お母さん仕事に行くわね。真矢ちゃん、翔子のことお願いね」
「はい。行ってらっしゃい」
「ありがとう、お母さん」
母親の後姿を見送り、翔子は真矢の方に視線を向けた。
「真矢……ちょっと……」
「へ?」
「ちょっと……、お願い」
「なぁに?」
訓練用のコックピットから降りた一騎は、そっと息を吐き出した。
今日も今日での組んだ訓練をやり遂げたが、何となく身体が疲れている。
「一騎君!」
「遠見?」
駆け寄って来た真矢。
一騎は少し首を傾げ、どうしたのか訊ねた。
「翔子が倒れてね、小母さん仕事が残ってるから今日は此処で泊まることになったんだけど……春日井君が手伝ってくれるって言うんだけど、翔子が一騎君も……って。お願い」
「……解った。じゃあ、後で病室に行くよ」
「私も、その方が嬉しいな」
嬉しそうに微笑み、真矢は走って一騎の元から去って行った。
一騎は真矢の笑みが何だったのか首を傾げたが、結局分からないままだった。
賑やかな声が病室に響いていた。
その訳は、一騎を入れた4人でのトランプゲーム。
「ねぇ、一騎君の番だよ」
嬉しそうに笑う翔子は、一騎に向かって手札のカードを突き出す。
「………うぅ〜ん………どれにしようかなぁ」
トランプゲームのババ抜きに、一騎は熱心に考えている。
「いいから早く引けよ」
「う〜ん……」
甲洋に注意されても、一騎は悩んだままだ。
「ねぇ、そろそろご飯食べない?」
真矢が時計を見て言った。
時刻は8時過ぎ。
そろそろお腹も減ってきた頃だ。
「そうだな、トランプ片付けよう」
トランプを回収し、甲洋は買ってきた食糧を袋から取り出す。
すると、病室のドアが開いた。
「あっ、君」
トレーを持って入って来たは、病室にいる一騎達を見て少し眉を顰めた。
それから一騎の持つトランプに目が留まり、翔子を見た。
「楽しかったか、羽佐間」
「えっ?あ、うん」
「そうか。良かったな」
そう言ってサイドテーブルにトレーを置く。
真矢が不思議そうにを見上げた。
「どうしたの、これ」
「が作った。アルヴィスに来るようになって体調も悪くなっている。嬉しいのも分かるが、今まで以上に自己管理をしっかりして貰わないと、身体がいくつあっても持たなくなる」
「………ごめんなさい」
「謝るくらいなら、もう二度と同じようなことは繰り返さないことだ」
「……………はい」
「ちょ、ちょっと君!何もそんな言い方しなくても、翔子はちゃんと分かってるよ」
「悪いが、俺はこんな言い方しか知らない」
真矢を目に留めることもなく、翔子の手首を取って脈を調べ出す。
腕時計に目を落とし、翔子の脈を取る。
脈を取り終えたところで額に手を沿え、熱がないか調べる。
その一連の動作に唖然と見ていた一騎達。
は持って来た個人データ表に記入し、ポケットの中から薬のケースを取り出す。
厳選して来たのだろう、薬の数は少ない。
「食事の後にこの薬を飲むと良い。遠見先生から預かって来た薬だ」
「あ、ありがとう」
薬を手渡し、はそのまま病室を出ようとした。
『君、そこにいるかな?』
病室に付けられている通信モニターがオンになり、ガーディアン・ルームにいるメカニックが映し出された。
はドアに向けていた足を止め、そっと溜息を付いてモニターに向う。
「どうしました?」
『何度も試みたんですが、システムエラーが出ました』
「他に言ったやつでも?」
『どれも駄目でしたね。データの確認もしましたが、誤りはどこにも』
は顎に手をかけ暫く考える。
それを不思議そうに眺める一騎達。
やがては口を開いた。
「………なら、考えられるのはただ1つですね。ブリュンヒルデ・システムが立ち上がったことで、Gシステムが受け付けなくなったのでしょう。一度も、ブリュンヒルデ・システムと調整したことはありませんでしたから」
『それなら……』
「Gを合わせるしかありません。今のデータを全て取って初期化しておいて下さい。今らかやれば、明日の午前中には起動する筈です」
『了解』
画面が消え、は深々と溜息を漏らした。
それから通信モニターに触れ、CDCにいる史彦に繋いだ。
「司令、Gシステムの起動が明日になりそうです」
『何か問題が起こったのかね?』
「ブリュンヒルデ・システムが立ち上がったことにより、Gが受け付けなくなっているようです。あれは、コアが目覚める前の段階で調整をしていましたから」
『そうか』
「これから初期化して明日の午前中には起動出来るようにします」
『仕方がない。君、頼んだぞ』
「了解」
通信をオフにして、腕時計に目を落す。
「何か……忙しいんだな」
「俺達には時間がない。自然と忙しくなる」
島を守る為には、どれだけ時間を削っても足りないくらいだ。
パイロットが一騎1人なのも問題だが、その前にファフナーがまだ完全ではない。
全システムも起動している訳ではなく、島の半分程しか動いていない状態である。
急がなければ、島が滅びてしまう。
「今日も訓練で身体は疲れている筈だ。早めに休め」
特にファフナーの訓練をしている一騎と甲洋は、十分な睡眠が必要である。
真矢と翔子も、訓練はしていないとは言え休息は必要。
はふっと翔子に目をやり、その後ろにある人物を思い描いた。
「………羽佐間は………」
「えっ?何?」
「…………………いや………何でもない」
頭を振り、自分の考えと描いていた者を消す。
それから嘆息し、一騎達を見た。
「……出来れば………巻き込みたくはなかった………」
フェストゥムとの戦いからも、新国連との戦いからも。
全てから、巻き込みたくはなかった。
巻き込めば犠牲が出る。
犠牲が出れば悲しむ者がいる。
は手を握り締め、そのまま病室を出て行った。
残された4人は目を丸め、暫くドアを眺めていた。
「……君………思い詰めてなかった?」
「そう……だね。少し、辛そうに見えた」
翔子と真矢が心配そうな表情を浮かべる。
一騎はが言い残した言葉を思い出し、前にが言っていたことが頭に浮かんだ。
「も、似たようなことを言ってた。出来れば、俺達には関わって欲しくなかったって」
「それ、どう言う意味だよ」
「俺に聞くなよ」
2人が何を思ってそう言ったのか、一騎は分からない。
ただ言えるのは、2人共辛そうな表情をしていた、ということだけだった。