明日と言う日を迎えるには、必ず今と言う時間を終えなければならない。
太陽は昇り、遙か彼方の地平線へ姿を消す。
昇るのは太陽の光を受けた月。
けれど私達は、本物の太陽と月を見ていない。
見上げる空は……偽りのモノだから。
アルヴィスにはいくつかの休憩室がある。
一騎達パイロット及び候補生が使うのはサードルーム。
そして今、総士が横になっている休憩室がセカンドルーム。
少し暗い照明に落とされ、総士は身体を休めるかのように目を閉じている。
休憩室に響くのは心地良いピアノの音色。
セカンドルームだけにあるピアノは、のみが弾く。
がピアノを弾き終えると、総士は閉じていた目をゆっくりと開ける。
「眠れなかったか?」
身体を起こした総士に聞く。
総士は首を横に振った。
「寝るつもりはなかった。ただ………ゆっくりは出来たさ」
「そうか」
優しく微笑むと、ピアノの椅子から立ち上がって総士の傍に寄る。
頭の上に手を置き、ぽんぽんっと叩く。
すると、2人の耳にスピーカーからピアノの音色が届いた。
自然とスピーカーに目をやる。
「乙姫の仕業だな」
口元を緩める。
総士は訝しげな表情を浮かべる。
「録音して、勝手にアルヴィス内に流しているようだ」
「乙姫が?」
「些細な悪戯だと思えば、可愛いものだろう?」
司令に説明しなきゃな、と困った表情も浮かべずに言う。
総士はそっと息を吐き、椅子から降りた。
「戻ろう」
「そうだな、総士には休んで貰わないとが怒る」
2人は休憩室を出て行き、自室へと戻って行く。
アルヴィスの廊下にも、ピアノの音色が流れていた。
しかし、このピアノの音色もCDCには流されていない。
今、CDCは緊張に包まれていた。
島の位置を新国連に知られ、潜水艦で見張られている状態が続いている。
「司令!新国連が通信を求めてきています!!」
「新国連の潜水艦は、どうなっている?」
「未だ、アルヴィスの後方、約50kの位置に張り付いています」
「どうしましょうか?」
このまま無視することは出来るが、相手が何もして来ないとは限らない。
島の安全を考えると、繋がない訳にもいかない。
「繋いでくれ」
弓子が通信回線を開き、映像をモニターに出す。
『やっとお話し出来る機会を頂いたようですわね、API1の皆さん。私は新国連事務総長の、ヘスター・ギャロップです』
「私がアルヴィスの代表者、真壁………史彦だ」
『では、真壁司令。この戦時下において、是非とも共に戦って行きたいと我々は考えております。その為には、アーカディアン・プロジェクトを遂行するあなた達に、要望があるのですが』
「要望は………此方にもある。新国連は、この島に関する全ての関与を中止すること」
『っ!?………よくも………そんな都合の良いことを言えたものですわね。あれだけの力を持ちながら新国連に協力しないことなど、許されるとお思いですか?』
「……もし……断ると言ったら?」
『………真壁司令。あなたに断れるかしら?』
断った場合、島がどんな目に合うか………代表であるならば想像は付くだろう。
潜水艦に忍ばせてある兵器。
それが島に直撃すれば、被害がどれ程になるか分かったものではない。
史彦は承諾をするしかなかった。
「それで、承諾したのですか!?」
ブルクに来た史彦は、保と容子にことの次第を話した。
「あぁ。マークゼクスを、新国連に渡す」
「そんな!?」
「畜生!完成までに、何年かかったと思ってるんだよ!!」
時間だけが費やされた訳ではない。
多くの人が関わり、共に作り上げた機体。
それを、新国連に渡すことがどれだけ苦痛か。
「今は、向こうの条件を呑むしかない。明後日、新国連の人類軍輸送艦隊が此処アルヴィスへ到着する。マークゼクスを、向島へ動かしておいてくれ。我々が落ち込んでいる暇はない。マークドライとマークフィアーの、最終調整を急いでくれ」
「分かった」
納得いかないが、新国連が扱えるような機体ではない。
保は自分の仕事に戻るべく、史彦の前から姿を消した。
「新国連は一体何の為に…………まさか!?」
脳裏に浮かんだ、1つの答え。
「その可能性は高いと思う」
「このことは、遠見先生には!?」
「まだ、話していない。しかし、厄介な奴が裏にいるかもしれんな。ブリュンヒルデ・システムのリンクデータだけは、外しておいてくれ」
「……分かりました」
度重なる不幸。
これ以上、不幸が重ならないことを祈るしかなかった。
太陽がまだ昇らないうちに、一騎はひとり山の頂上に来ていた。
何故か何時もより早くに目が覚めてしまい、何気なくひとり山に足を運んでいた。
島はまだ静かで、時折小鳥のさえずりが聞こえる。
一騎が頂上に到着すると、見慣れた後姿が目に入った。
「?」
「一騎?」
頂上で島を見下ろしていたが、一騎の声で後ろに振り返った。
幼さの残る表情からは、少しの疲労が見えた。
「どうしたの?こんな朝早くに」
「何となく………目が覚めたから。こそ、どうしたんだ?」
「ちょっとね、気分転換」
そう言ってまた島を見下ろす。
一騎はの横に立ち、同じように島を見下ろした。
とても静かな時が流れている。
これが少し前までずっと続くと思っていた。
「変えたくないね、この風景」
「……そうだな」
島を見付けたフェストゥムと新国連。
これから、この島はどうなってしまうのか。
そんな不安を少なからず抱いている。
「一騎は………さ、守りたいモノってある?」
「守りたい……モノ?」
「そっ、守りたいモノ」
果ての海を見詰め、一騎の答えを待つ。
急に問い掛けられた一騎は、口を摘むんで考え出した。
戦闘は2回目で、まだ島のこともファフナーのことも分かっていない。
守りたいモノ、と問われても答えに困る。
「島の平和……かな」
「そっか」
「……漠然としてるけど……」
「そうでもないよ。皆が思ってることだもの」
「は?」
チラッと横を見る。
は目を細め、すっと空を見上げた。
それから右手を空に向って伸ばす。
「ある人と………人達との約束、かな」
「約束?」
思わず聞き返した一騎は、少しだけ目を瞠っていた。
「島の楽園を守り、皆の笑顔を守ること。それがあの人達と交わした約束」
広げていた手を握り締め、胸の前に持ってくる。
まるで見えない何かを手にしたようで、一騎は不思議な気持ちになった。
「島を守れば、交わした約束を守ることが出来る。私は、交わしてきた約束を守りたいの」
その為に戦うと、は言った。
真剣な目で一騎を見る。
それを受けて無意識に頷いてしまった一騎。
は小さく笑う。
「そろそろ日が昇るから、アルヴィスに戻るね。一騎はどうする?」
「俺は…………もう少し、此処にいるよ」
「そっか、分かった。午後から訓練だったよね、休める時は休んでおいてね」
「も……な?」
「私?」
きょとんとした表情で首を傾げる。
「その、と総士って指揮官だろ?だから……あまり休めてないんじゃないかなって」
「心配してくれてるの?」
「そ、そりゃ!心配ぐらいは……」
口篭る一騎を見て、は思わず噴出してしまった。
一騎は顔を赤めたが、ぷいっと顔を逸らす。
笑いを押さえたは一騎の肩を叩いた。
「大丈夫、大丈夫!私も総士も、別に疲れている訳じゃないからさ」
「なら、良いけど」
「心配してくれてありがとう。でも、一騎は自分のことを考えてね」
身体は日常生活において何の問題もない。
しかし、一騎の身体は確実に侵食されていることを本人は知らない。
知らされていない。
今はそれで良いとは思う。
真実を知らされ、彼が平然としていられるか分からない。
知らない方が良い真実もある。
「それじゃ、私は行くね」
「あぁ」
アルヴィスへ向けて山を下りる。
一騎はを見送り、見えなくなったところで視線を元に戻した。
「守りたい……モノ」
島の平和と一騎は言った。
漠然だ、とも。
だが、島の平和は誰もが望んでいること。
一騎も望んでいるが、何かが違う気がしてならない。
「守りたいモノって、何だろう」
確かに島を守りたい。
けれど、の守りたいモノは誰かと交わした約束。
それは島を守ることと繋がっているが、は約束を守りたいと言った。
「……俺の守りたいモノって……」
考えても分からない。
一騎は溜息を漏らし、顔を出し始めた太陽を見る。
島が、目を覚まそうとしていた。
◇ ◆ ◇
午前中にパイロット候補生の訓練があった。
ひとり山から戻ったは事務処理を少しした後、と入れ替わって訓練に向った。
真矢と翔子は弓子の元でオペレーターの手順を教わり、残りのメンバーがファフナーの訓練に参加。
総士も彼らの訓練を見ていた。
表情が少し硬いのは、新国連にファフナーを一機引き渡すと聞いたからだろう。
島の大人達は大抵知っている。
ファフナー・マークゼクスを新国連に引き渡す。
一機減るだけで島にとってどれだけの戦力低下となるか。
どうせ扱えない物を、彼らはどうするつもりなのかは想像が付く。
「今、マークドライ、マークフィアーの最終調整を行っている。マークゼクスを失うのは正直辛いが………こうなってしまった以上仕方がない」
エスカレーターで移動しながらは総士に言った。
候補生達には既に決められたファフナーがあった。
それは非公開で、知る者はごく決められた一部のみ。
「ゼクスの適任者も、まだ正式な訓練を受けていないしな」
そう言って、エスカレーターとエスカレーターの中間に設けられた休憩所にいる2人の少女を見た。
総士とはエスカレーターを降りる。
「ねぇ、皆城君に君。一騎君まだ来ないの?」
翔子が少し期待の目で訊ねる。
真矢からの存在を知らされた翔子は、アルヴィスで初めて会った時目を丸めた。
ちゃんを男の子にしたらこんな感じかな、と言った時はさすがの真矢も驚いていた。
「知らないな」
返って来た言葉に肩を落とし、さらに元気をなくす翔子。
をジッと翔子を見て、そっと近付いて頭に手を置いた。
それからぽんぽんっと叩く。
「早く帰って休め。周りに迷惑をかけることになる」
すっと手をどけ、エスカレーターに乗った。
総士もその後を追おうと足を動かしたが、足を止めて真矢を呼ぶ。
「遠見」
「ん?」
「まだ、チョークが残っているぞ」
「えっ?あぁっ!」
思わず両手を後ろに隠す。
総士は気にした風もなくエスカレーターに乗っての後を追った。
先に行っていたは振り返り、口元を緩める。
「何だ」
表情の変化はないが、少しムスッとしていることは分かった。
肩を竦めて見せると、は静かに首を横に振った。
「隠す必要なんて、総士にはない。お前は、俺達とは違う」
遠見真矢に寄せる総士の思い。
それをもも知っていた。
ただ、総士の寄せる思いは少し恐れている部分があると、2人は気づいていた。
彼女の持つ洞察力を、総士は無意識の中で怯えているのだ。
「何を言っているのか、分からない」
「そう言うと思った」
苦笑すると、前を見てエスカレーターを降りる。
正面から此方に走って来る姿を見て、はそっと息を吐いた。
総士もエスカレーターを降り、走って来た一騎も2人の前で足を止めた。
「一騎、今日は向こうだ」
「えっ?何で?」
「シミュレーションの前に、前回のトレーニングを行っておけ」
「分かった」
別の方向へ向う一騎と総士を見送り、は自分が来た方向に目をやった。
それからもう一度一騎達に目をやる。
「………心を鬼にするのは、そう簡単なことではない筈なんだがな。総士もも、それに慣れてしまった」
何も知らなかった子供が島の一部を知り、島を守ろうと子供を止めた総士とは大人になった。
大人として、本当の大人相手に対等であろうとした。
その為に捨てた多くのモノ。
その為に作り出した、多くの仮面。
は手を広げ、ギュッと握り締める。
そしての足はブルクへ向かって行った。