深い眠りから覚めた時、君は一体何を見るのだろう。
 外の世界を知らない君。
 会話のない、無の世界。
 あなたは……そこにいますか?










 一騎は容子に教わりながらマークエルフの整備をやっていた。

「一応、マークエルフは君が担当しているから、私がいない時は彼に聞くと良いわ」
「……って、此処でも働いているんですか?」
「そうよ。彼、此処にとって結構重要な位置にいるの。ちゃんもそうなんだけどね」

 2人の仕事内容は異なっているが、固定がされている訳ではない。
 はっきりと決まっているのは、は指揮官と司令補佐。
 はパイロットの世話とシステム整備。
 だが、彼らは他にも様々な所で働いている。

「知ってたんですよね?が双子だってこと」
「えっ?あぁ……、そのことね。知らなかったのよ、私」
「知らなかった?だって、ずっと此処にいたって」
「そうらしいんだけどね」

 容子は苦笑いを浮かべた。

「彼が私達の前に出て来たのは5歳の時なのよ。その前のことは何も聞いてないの。ある施設にいた……とは聞いてるけど」
「そう………なんですか」

 には兄の以外いないと思っていた。
 だが、実は双子がいてずっとアルヴィスの中で過ごしていた。
 のことを聞くと、も総士もあまり多くは語らない。
 一騎は容子の手元を見ながら少しだけ考えていた。
 すると、誰かに見られているような気配を感じ、顔を上げる。
 一騎の目に飛び込んで来たのは、宙に浮く1人の少女。

「えぇ!?」
「どうかした?」

 一騎は視線を容子に移し、もう一度顔を上げる。
 そこにはもう、少女の姿は消えていた。

「……何でもありません……」

 目の錯覚……なのだろうか。





 少女の気配が消えた。
 は目を開け、再び廊下を歩き始める。

『乙姫……だよね』
(あぁ。何処にいるのかは解らないが、目覚めつつあるようだ)

 ブリュンヒルデ・システムの覚醒が近いということなのかもしれない。
 はCDCに入り、史彦の元に行く。

「初期データが取れました」
「ご苦労だったな。すまないが、ブリュンヒルデ・システムの立ち上げを手伝ってくれ」
「はい」

 席に着き、パネルに触れる。
 まだ途中で終わっていたデータを呼び起こし、は指を動かし始めた。

「そちらの状況は?」
「まだフェイズ32です」
「32か……遅れているぞ」
「それが、ブリュンヒルデ・システムがコールドスタンバイのまま立ち上がらないんです」
「原因は?」
「分かりません」
「とにかく急いでくれ」
「はい」
「皆城がいなくなったくらいで、この有様か……先が思いやられるな」

 実戦投入が出来るパイロットは1人。
 ブリュンヒルデ・システムはコールドスタンバイのまま。
 何もかもが中途半端な状態。
 これでは、島に何か起こっても対応しきれないだろう。
 は動かす指を止め、小さく溜息を漏らして作業を再開しようとしたが、ある気配を感じ取って顔を上げた。
 先程感じたモノと同じ。
 つまり、ブリュンヒルデ・システムである乙姫の気配だろう。

(何処にいる)

 問いかけても返事は返って来ない。

「どうかしたの?君」

 近くにいた澄美が訊ねる。
 は何でもありません、と答えて作業を続行した。
 今の状況では乙姫の居場所を特定することは出来ない。
 彼女は地下の、コアの中にいるのだから。

『何もしてなきゃ良いんだけど』

 それだけが今の望みだったのだが、乙姫はある人物の前に姿を現していた。
 ブルクで機体の整備をしていた一騎は、再び感じた気配に顔を上げる。
 見上げた所には、先程見た宙に浮く少女。

「あっ!えぇ!?」

 幽霊ではないと、すぐに分かった。
 ちゃんと足がある。
 少女はクスクスと笑い、宙を浮いたまま流れるようにブルクから去って行く。
 一騎は慌ててその後ろを追った。
 その頃、別のブルクでリンドブルムのエンジンをチェックしていた保は、何度目かの失敗にうんざりしていた。

「駄目だなぁ、こいつは」
「ハズレですかねぇ、これ」
「エンジンごと交換しちまおう。その方が早い」

 竜宮島には、ゆっくり準備を整える時間は残されていない。
 無論、時間もなければ人材もいない状況である。
 だからこそ、パイロット達にも機体の整備をさせるのだ。

「一騎君?」

 容子は辺りを見渡すが、一騎の姿は何処にもなかった。
 しかも、整備の途中である。

「何処に行ったのかしら……」

 トイレにでも行ったのだろうと考え、容子が整備の続きをする。
 やはり、子供にはまだ早かったのかもしれない。
 整備はあまり進んでいなかった。
 容子が整備の続きをしてくれているとは知らず、一騎は少女の後を必死に追っていた。
 追いかける自分を見て、少女は小さく笑う。
 壁を通り過ぎたり、見失えば変な所から出て来たり。
 普通ではないと解っていた為、あまり驚くこともなかった。
 散々走った後、少女はエレベーターの中に消えた。
 一騎は慌ててボタンを押す。

『あなたのIDでは、これより下に行くことは出来ません』
「えぇ!?」

 行けない所があると、一騎はこの時初めて知った。
 辺りを見渡すと、エレベーターの中に消えた少女が後ろを通り過ぎて行く。
 一騎はまた走った。
 長い階段。
 深く続く暗い道。
 ホールに出たと思った瞬間、目に飛び込んで来たのは大きな門。
 門がゆっくりと開き、一騎は中へ入って行った。
 広い部屋の中心にある大きな設備。
 一騎は思わず足を止めた。
 カプセルの中で眠っている少女。
 その少女こそが、一騎を此処まで連れて来た張本人。
 少女はゆっくりと目を開け、小さく笑った。
 その瞬間、CDCのモニターにコールドスタンバイのままだったブリュンヒルデ・システムが立ち上がった。

「近藤先生。今、フェイズ35から46までクリアしました。これで、反応炉に火を入れられます」
「でも、どうして急に」

 言うまでもない。
 乙姫自身が行ったことだろう。

「ブリュンヒルデ・システムパートロック、解除確認。反応炉は火を入れて下さい。弓子さん、島民に移動の報告を」

 移動準備は着々と進みつつあるが、それはアルヴィス内部でのこと。
 島民達にはまだ移動の報告をしていない。
 島が動くということは、揺れが生じると言うことだ。
 弓子は各家庭のテレビ、ラジオに緊急放送として回線を繋いだ。

『島民の皆さんにお知らせします。明日の午前10時をもって、竜宮島は移動を開始します』
「島が動くのか!?」
「ええ!?聞いてませんよ、そんなこと!」
「俺もだよ!いっつもあいつらだけで決めやがって!!」

 腹を立てる春日井夫婦。
 確かに、島の移動はアルヴィス職員のごく一部で決められたこと。
 腹を立てるのは仕方がないだろう。
 だが、島は一刻も早く移動を開始しなければならなかった。
 CDCで響いた異様な警報。
 モニターにSOLOMONの文字が浮かび上がり、赤色へと変わる。
 下のフロアーにいた真矢と翔子が弓子を呼んだ。

「近藤先生、これは一体!?」
「分からないわ。ブリュンヒルデ・システムが突然立ち上がったの。ソロモンの予言よ!」

 フェストゥムの接近を知らせる自立したAI。
 シリコン型生命体の思考パターンを、ブリュンヒルデ・システムと共に常にプログラム化している。
 それが、ソロモンの予言。

「9時の方向!距離、120に重力示!!」
「質量は増大中!」
「あなた達は出て行きなさい」

 事態を重く見た弓子が指示を出す。
 今日来たばかりの2人に、此処でやって貰うことは何もない。

「何が始まるの?」

 真矢は不安そうに尋ねた。

「……………戦闘だ」

 真矢の問に答えたのは、上にいた史彦だった。
 フェストゥムは水飛沫を上げながら速いスピードで島に向かう。
 それに気付いたAIは、映像と一緒に敵の接近を知らせた。

「ソロモンの反応!アンディバレント!スフィンクス型と断定!!」

 距離はあるものの、敵はすぐに攻撃をして来るだろう。
 何かをしようと思うと、必ず邪魔が入る。

「一体どうしたの!?」
「これも訓練!?」
「違うみたいだぞ!」

 何かが違うこの感じ。
 訓練ではなく、何か島に危険が迫っているようだと感じた。
 不安になる咲良達。
 そして一騎は、ワルキューレの岩戸と呼ばれる所から逃げるように去った。

「真壁指令!6時の方向、距離60。毎時850で、新国連機が島へ接近中です!!」
「熱紋パターン参照。何時も来る探索機と確認」
「25分後に、島上空を通過予定!」
「よりによってこんな時に……島で迎え撃つか」
「ヴェルシールドを展開すれば、探索機に発見される可能性があります!」
「出航して位置を変えた方が!」
「出航フェイズは、まだ73です」

 つまり、出航はまだ出来ないと言うことだ。
 は思わず舌打ちをする。

「司令!」
「そ、総士?」
「僕に考えがあります」

 CDCに突然入って来た総士は、考えを手短に話し始めた。
 史彦は少しの間考え、総士の作戦を実行するよう決める。

「総士君、君の作戦、実行してみる価値はありそうだな。よし、マークエルフ発進スタンバイ。一騎は何処にいる!?」
「地下34ブロックのエレベーターで上昇中!」
「そんなとこに……」

 普段なら絶対に行かないような場所。
 寧ろ、行く意味がない所だ。
 総士はパネルに触れ、内線を通じて一騎のいるエレベーターに回線を開く。

『一騎』
「えっ?」

 突然聞こえた幼馴染の声に、一騎は一瞬驚きの声を上げる。
 すると、上の部分にあるモニターに総士が映っていた。

『スクランブルだ』

 少し驚きはするものの、再び戦いが始まるのだとすぐに解った。

「危険すぎます!まだマッチングテストも!!」
『それでも飛ばせてくれ』

 リンドブルムを使用すると聞き、容子は反対の声を上げた。
 だが、マークエルフでは空中戦が出来ない。

『エンジンの交換は出来ているんですよね?なら大丈夫です。今は、やるしかありません』

 史彦に続きまでもが飛ばすよう指示する。

「…………どうなっても知りませんよ」
『信じることも、大切です』

 は自身ありげな笑みを浮かべた。

「仕方ない。やるしかあるまい。マークエルフ、リンドブルムクレスト、換装を急げ!」

 保は作業員達に指示を出した。
 通信を切った史彦は、下のフロアーにいる弓子に指示を出す。

「弓子君、新国連機に通信しろ!竜宮島は、ポイントN02にいるとな!!」
「そこだと、スフィンクス型と接触します!」
「そうだ!新国連機には囮になって貰う!!その隙に島を起こすぞ!!」

 これは一種の賭けだ。
 とても危険な橋を渡るかもしれない。
 それでも、彼らはやらなければならない理由があった。

「作業員は所定の場所へ」
「LDA、展開します。第1、第2ゲリッターロック!第3、第4ゲリッターロック!ファフナー、ケージアウト!!」
「LVCリンドブルム、ターンテーブルへ。トランスファーブロック、移動!」
「ファイナルステージD、チェック。オールグリーン。ファフナー、接続位置に固定!」
「接続アーム、ロック!」
「ファフナーコンタクト!」
「コンタクト・コンプリート!」
「コンタクト・コンプリート!!」

 マークエルフの出撃準備が出来た。
 はブリュンヒルデ・システムのデータを一旦端に置き、マークエルフとリンドブルムのドッキングを調整する。

『最初に言っとく。俺は……飛んだことないからな!』
『心配するな……僕達2人なら飛べるさ。そう思うだろう?』
(思えるかっての)

 会話を聞いて思わず突っ込んでしまいそうだった。

「真壁、リンドブルムはマッチングテストをやっていない。エンジンの交換は出来ているが、ちゃんと動くか保証はない」
『えぇっ!?それ、大丈夫なのか?』
「整備班の腕を信じろ。リンドブルム、システムオールグリーン」
『リンドブルム、エンジンスタート』
「カタパルト解放!」
「各部正常に稼動。全システム異常なし。無理はするなよ、2人共」

 一騎は頷き、総士は無言のまま正面を向く。

「用意は良いか、一騎」
『あぁ』
「よし。リンドブルム、発進!」

 加速をつけてリンドブルムがカタパルトを走る。
 いきなり来る衝撃に耐えながらも、一騎は少しだけ身を乗り出してファフナーを感じた。

「上がれぇぇえぇ!!!」

 リンドブルムは持つ翼を広げ、蒼穹の世界を飛び始めた。





 何時からだろう……。
 人が空の飛び方を忘れてしまったのは……。
 いや、忘れたのではなく………怖くなったんだ。
 この星の空は、人のモノではなくなったから。
 そんな空に……僕達は翼を広げた。